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千歳の報告(その44) 

千歳の報告(その44) _e0040515_645189.jpgA:学習指導要領の改訂を見ると、ものを見つめさせない教科にしようとする姿が見えてきた。自民党の人が戦前のまま、「教育勅語いいですよね」とか。頭の中は戦前。図工美術はハナっから騙されてきている。子ども達にものを見つめる力をつけるというのは大きな教科を担っていると思う。絶対譲らない。平和教育についてもやっています。『ベンチ』の実践を国語の先生が参考にして取り組んでくれた。人間性を深めるためにものを見る目がしっかりしていないと駄目。森さんの話のように。小学校と中学校は違うと言いましたが、その都度その都度鍛えていかなければならない。それなりの時代を見つめる力をつけていかなければならない。子ども達が民主主義を進めるために必要。もし変わっても、元に戻せる力になる。全ての教科で。
Q:評価について。技術の先生との話で卒業制作で小箱をつくる。 技術と美術の違いって何? 実用性と美しさを強調しているかの違い。教科間で連携はすばらしいが、巨視的な見方をすれば、どっちかというのがわからないのは教科存続なのか。自分たちのやっていることがわかっていないのが問題。
N:石狩のレポートの結果が昨年と変わっていて良かったなと思いました。帯広の先生が美術は数値化が馴染まないと言われている。子どもを査定すると言うところがモデル校とされている。頑張ろうか大変良いかが9割。図工でもどういう規準なのか。学年のエリート。ほとんどが頑張ろう。もっと厳しく見つめさせるためにやっている。全国の傍聴の時に、学力問題に出ました。4歳児なのに「学校に予約しろ」。それで行ってみたら、みっちりデスクで勉強。図工音楽はない。その子はそういうのが好きだったのに、子どもが描き出したのはABCだった。『美しい国』もイギリスをモデルにしようとしている。カリキュラムも考えづらい。政府の意図が財界などに左右されている。忙しさを理由にしてはいけない。
by nobuhiroshow | 2007-10-10 06:05 | 全道教研


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