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千歳の報告(その20) 必要感と必然

千歳の報告(その20) 必要感と必然_e0040515_403575.jpg共同研究者B:にんじんとカボチャが出てきましたが、題材と授業の始まりで子どもの頭の中で何が起きているか。胸の中で何が起きているか、捉えなければならない。カボチャの方は色やかたちですよね。にんじんは自分が育てたにんじん。なんですよ。中学校なんかはデザインを一生懸命やることがありますよ。それでいいのか。必要観と必然があるとどんどん描くと思います。そこにある集団画の虫についてもすごく色を混ぜている。子どもの心の中に何を起こさせるのか。
空知北:これは2年生の集団画。あれだけチューブにない色を出しているのは自発的な部分が出ていると思う。子どもにつけさせたい力はよく見て正確に見る力だと以前は思っていましたが、子どもが「描きたくねー」という気持ちになってくる。自分がそうさせてしまったのに、「何でやらないの」という苦い経験がある。2年生の子は花火を描きたい。与えられた紙は白。でも花火は夜だから黒い背景。だから塗ったら花火が見えなくなってしまう。それで先生に相談しに来た。そしたら先生は「空を塗ってから花火を描いたら」ということで、葛藤が生まれて自分で育つ。子どもに聞かれてちょっとアドバイスをする。子どもの中から生まれてくる思いが大切。にんじんとか車とか生きて働く車とか、何々の何とつけることで思い生まれてくる。
日高:カボチャのバックは選択させました。子ども達の発想を待ちましたが、石でも手を使ったり、細いところは割り箸を削ったり、髪の毛を使ったり、教師側が言わなくても工夫する。それを交流する。子どもの中には真似するのがいやという子もいるが、カボチャの時にはやってみる。絶対同じにはならないけど教え合いが生まれる。成長するにつれて、描くためには道具も工夫する。
E:必然という言葉がありました。三重の先生がザリガニを描く実践をしていました。計4回描かせました。最初は何も見ない。最後の絵はザリガニと自分の関係が完結していていい絵だったなと思います。例えば、煉瓦の絵を描いたときに、バックはいらないと思う。カボチャならバックはいらない。
F:割り箸や指について、何も用意しないところで思いついたのか。
日高:何も用意せずにやりました。「何をしてもいい。」と石でやり、カボチャではさらに発展しました。割り箸は教室にたまたまあったので、それを使いました。爪楊枝も。
G:石で面白いなと思いましたが、「作ってみたい」という声は? カボチャの「バックを好きに処理」ということの反応は?
日高:発泡スチロールをやりたい人はいませんでしたが、「これ騙せるかな」という児童はいました。カボチャはバックに関する関心はなくてこの筋すごいねという話がありました。
by nobuhiroshow | 2007-10-09 04:00 | 全道教研


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