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稚内の報告(その19) 相互鑑賞について

○昼で帰るので。なぜ人は絵を描くのかな。自分の思いや願いがあって、それを表現している。鑑賞の場を設けることで、その思いを受け取る場、返す場だと思っています。鑑賞をやらないのは絵を描く価値がない。鑑賞まで含めてお互いの思いを伝え合うのがいいのでは。時間の問題ではないのでは。その時間をとることによってお互いを理解し、生きる喜びにつながると思っています。

○描いている中で満足しない部分があって行き詰まる場面がある。隣の子の作品を見て自分も高まる部分もある。小学校は一日いっぱいずっと一緒にいる。お互いのいろんな部分を知っているし、高めあっている。行き詰まったら、見てきますと宣言して参考にさせる。その子らしい所を見つける。こんな所がその子らしいとお互い言い合っている。図工でも何でも学級作りに関わってくる。友達の絵を見合う活動は高める認める場面は必要。

○やる気がないので、酒井式を。なので考えられない。中学校なら難しい。展示だけでも良いと思う。貼ることもできない場合もあると思う。学校事情で。どこに絵をはるのという学校もある。それなら授業時間しかない。それなら授業中に立ち歩いて。作者の気持ちは作者じゃないのでわからない。盗んでいいよ。見てるだけで分からないんだから。聞けばいいよ。1年生はなかなか分からない。3年生は交流できる。なんか声をかけてありがとうでもいいし、にっこり○(まる)でもいいし。見せてもらったらお礼をしよう。お互いに交流できる状況がこれで生まれてくると思います。

○小学校から中学校への発達段階で、純粋に鑑賞だけを行うのと総合的に見る適応鑑賞について若い頃話し合いましたが、いつも子どもに返ります。自分が低学年になったり、自分で先生の顔を描いたこと。その先生が好きだった。その大好きな先生の顔を描いてごらんといわれてうれしくて描いたことを覚えています。貼ってもらってそれで満足。見合うことに意識がなかったなと自分では思っています。2年生後半から人の絵を見る記憶があります。お互いの絵を見ることはやります。でやっぱり、けなしも入ったりしますが、いいところはいいと認めますし、この子はこんなことを描くなんて信じられないという部分もあります。相互鑑賞にはあまり時間かけてないです。作品を貼ることをあまり好まない学年ですので、名前を付けないで貼っています。それならいいというので、画鋲はずして名前を見ています。誰が描いたか見ています。プライバシーのこともあるし、やっています。生徒同士は貼っておけば勝手にやっています。純粋に見るのに作者のことを言っていいのか、意図的に平和教育が根底にあるので、リンクさせたいと思っているのでやっています。そのとっかかりとしてやっています。

○貼るのをいやがる生徒はいます。特別なことはやらないで、5分前には後ろの作業台に作品を置いておきます。そうするとお互いに見ています。授業中も自由に見ていい状態をつくっています。ほんとに見たい子は放課後に見に来ています。自然と他の生徒の作品を見たいと思わせば良いと思います。

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自分の作品を自己主張したい。大人には分からない線があってそのことを分かってもらいたい。自分の自己主張です。他の人に文句を言われたらもう描きたくなくなります。自分で説明をさせて、それで育つ。否定する場面は創らないようにその場を考えています。良さを認めてもらっていく活動をしたいと思っています。線1本が重要な意味をもつのが子どもの絵。題名をつけるときにも子どもの中にもただの「運動会」具体的に出てきたときにその子の思いが伝わってくる。

○見る視点を説明してほめていくことでお互いに高めあえる。お互いの作品をみていく場面も大切。学級作りの要素もある。立っていけない場面もあるので配慮も必要。
by nobuhiroshow | 2005-11-15 21:15 | 全道教研


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