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千歳の報告(その51) 小さな事からやっていけばいい

千歳の報告(その51) 小さな事からやっていけばいい_e0040515_42257100.jpgB:地域に戻ってどう広げるか。話したことを、市教研とサークルが非組だとしても遠慮せずに言っていかなければならない。もう一つは実はTOSSのサークルがあり地元では言えませんが、酒井式の講習などをやっている。ギャラリーとアトリウムでやっていて、彼らは来ない。で、そういうところに行った先生の話も聞く。子ども達の描きたいという気持ちをどう支えるか、こっちの技量の問題もある。難しいことを何とかしなければならない。人と人との学校の中での巻き込みや、同じ市内の先生とつきあって行くことを意識的にしていく。作品展の会場となる地元の企業がが「儲からない催しは脇によけてくれ」となって、1月に追いやられた。それで、場所も遠いところになりましたが、もっと多く人が来る場所になりました。押しつぶされそうな先生もいる。こういった発表の場に、上手い絵だけを見せるのではなくて、同じ課題をやって交流出来ないかと考えました。また、市民の会を代表している方を呼んで、反思想的で父が逮捕された人を呼んでやろうとしたら管理職からストップが来た。小さな事からやっていけばいい。足下から少しずつ教科の良さをアピールしつつ。子ども達の心が生かされることやっていくべき。

N:作品のまとめを作ったのが16年前です。親がやっていたので、私も見習ってやりました。「バラバラだと捨てられるんだ」と言っていました。お母さんも見てくれるし。参観日なんかでも見れるし、「こうやってまとめてくれたら助かるんだ」と、子どもの成長を、親も、子ども言ってくれる。表紙を印刷してつけたりしますが、まとまりを見ながら成長を見ながらやっています。札教短信に報告を作ったりしています。還流集会もあまりできません。組合員数は多いですが、年々減っています。何百文字しかありませんし、限りがあります。職場ではいろいろ話をしています。こちらが批判の気持ちで持っていっても、一蹴されることが多いです。組合に入っていない若い人に対しては方式などの別の見方をアピールしている。若い人としては「お金払って勉強しているのに何でそんなことを言われなければならないの」とも言われてもいます。
# by nobuhiroshow | 2007-10-11 04:23 | 全道教研

千歳の報告(その50) 子どもが作るものにはすごい価値がある

千歳の報告(その50) 子どもが作るものにはすごい価値がある_e0040515_4134351.jpgD:一番最初に石狩の先生の話で展覧会の話がありました。人が増えればいいのか。自分は文化祭に展示したのをそのまま持ってきましたが、作品は返したのでないのですが、貼りました。どういうねらいでやったのかも説明しました。スケッチ、ポスターでもつけています。ポスターでは人目を引く、わかりやすいを言うことでやっています。公共広告機構で海亀の死は76%がビニールを詰まらせている。世の中にはこんな事もある。いろんな事例を行って、子どもはテーマを見つけて始めていきます。私は全員分貼ります。正直、どいういうねらいでやったかを貼るかというと、「レベルが下がったね」とグサッと言われた。「違うんだよな。伝わらないな」と思います。上手い作品をめざしているんじゃないんだと言うことを伝えたい。そういうことが大事。函館でも展覧会もある。作品に対しての説明を付ける。例え技術的にどうこうとあるかもしれないが、納得してみてもらえるように、人間性の部分が大事だと一般の人に見せていきたい。こんな事をやっています。

司会A:子どもの姿をどうやって伝えているか。
P:花の作品。3年生の持ち上がりの作品で、怖さを感じた隙間を感じた。人のために何かをしてという物語を題材。自分の中の優しさを探させて、自分のいいところは照れて言えない。悪いところは言えるけど。話し合わせたときに表情が変わる。嬉しい顔になる。作品ができたとき学習発表会の装飾。「いろんな人に見てもらおう」。「でも、持ち帰ったら捨てられる」。「そんなことはない」。「優しさの花を捨てないような仕組みを作ろう」として花瓶を作った。弟がいて、普段は我慢しなければならない。自分は弟を助けなければならない。花の模様のもやもやはその葛藤。花瓶に弟の顔のメダルがあって、そのメダルは取り外しができて、弟の見えるところに飾ってほしい。ある人は、お母さんが人にバスで席を譲る。そのことを嬉しく思ってお母さんが咲かせた花。お母さんの所に置いてほしい。自分の子どもの書いたカードを見て涙ぐんでいる保護者もいて。職員も声をかけて、一緒に作ってもらえる、一緒に関わってもらえるようにして、図工っていいものだと思わせる場を作る。子どもが作るものにはすごい価値がある。図工は地味に大切。
# by nobuhiroshow | 2007-10-11 04:17 | 全道教研

千歳の報告 (その49) アクション

千歳の報告 (その49) アクション_e0040515_441098.jpg

 この意見書の時に 中教審のメンバーに資料を送りました。さらに、意見書を送りました。すると反応がありました。黙っていたらこうはならなかった。黙っていなくて良かったな。何かアクションをしたらわかってくれる人がいる。過去の自分はどうせ不要4教科だから、なくなるんだろうと、何の進展もなかった。慎重にアクションをすれば返ってくる。私が教研病になると、ここに来ると成果をどう広げるかとある。私がインターネットを始めたのは、みなさんから意見を聞いたら、インターネットでやってみたらと一人が言ってくれたからです。教研の一人の参加者が方式の実践を持ってきてニコニコして言った。近くに人がいなくて、図書館に行ったらその本しかなかった。美術教師は学校では一人ですよね。思いがつながると元気も出ます。いつかの教研のなかで地域の方が、札幌で絵の見方を教えた。大人が見る作品はコンクールが多い。学びの姿はほとんど見えない。この資料も学びの姿が見えるようにしなければならない。こんな事してるあんな事してるというのがあったら出してほしい。もちろんここに来ることもそう。 全国の還流の報告。ただ、インターネットだけやっても駄目だと思う。心地良いと思う。自分が調子に乗らないようなことが必要。成果を広げる方法。支部に戻ったときにこういう風に広げています。ということがあれば教えてほしい。
# by nobuhiroshow | 2007-10-11 04:04 | 全道教研

千歳の報告(その48) 文科省の動き

千歳の報告(その48) 文科省の動き_e0040515_3581391.jpg

昼食後

司会A:教研の成果をどう広げていくかを共同研究者から。
共同研究者B:まず、ここに書いてあることで、来年の3月早ければ、遅くなる気がしますが指導要領の案が出ます。前回の時と違って全部Webに出ています。知らない方は知っておいてください。でっかい動きの中でどの位置にいるのか。去年の春の段階で現代の教育課題の意見を求められました。パブリックコメント。その結果。図工についての意見は一つだけでした。もっと技術を教えてほしいという意見でした。現場から。私の意見(文科省に届けた意見)はありませんでした。中央教育審議会の教育課程部会で美術や音楽をまとめて選択教科にしてはという意見が公開されました。これはまずいとして個人の動きとして共同研究者としてではなく請願書と意見書を出しました。抗議の形にはしませんでした。その後、答申が出ました。この答申を受けて知的な面ばかり強められているのではないかとして分科会決議をしました(第55次全道教研稚内大会)。自分たちに向けてしました。1月教育改革のための重点行動計画がでました。指導要領改訂は2007年度内と出ました。1月に中教審教育課程部会で図工美術教育の課題(試作)がでました。2月中教審。教育課程部会があり、審議会経過報告意見募集。個人からの意見として、意見募集の概要がでました。全教科で400の意見のうち、「芸術科目は豊かな情操の育成を担っており、その選択科目化や時数の削減は不適切。職員配置や施設設備の保障が重要」と出て9月の教育課程部会の教科の現状と課題、改善の方向性(検討素案)がでました。小中の連携を考え。造形遊びにかっこがつく。役に立っていなかったと言っている。造形遊び。そして、10月教育再生会議ができ、教育基本法、日本国憲法もどうなるかわからない。そこで今回の第56次合同教育研究集会。
# by nobuhiroshow | 2007-10-11 04:00 | 全道教研

千歳の報告(その47) 鑑賞で落ちている部分

千歳の報告(その47) 鑑賞で落ちている部分_e0040515_6292397.jpgR:鑑賞で落ちている部分がある。見る方の部分はいいとして、見せる部分で絵を飾る部分を育てなければならない。美術の時間で子どもを変えて、学校のデザインが変わる。手の塑像をしたときにどう飾るかのプランを考えさせた。それまではただ、並んでいたのが、並べ方の意識が変わった。そんな部分はこれから必要。作りっぱなしではいけない。意識が少ないかなと思います。班の中で意見を出しながら考える、こっちの班のアイディアがいいから取り入れよう。
帯広:子ども同士の作品の鑑賞について。レタリングなら、個別に貼らせた。自分で。貼りたくなかったと言う声もあった。解説カードを工夫したり、考えさせる必要もある。その大事さもある。作品を作った最後にやっていけるのでは。
R:その授業のあと、一見意識が変わったかも。学級に戻ったらまた変わる。展示に対しての意識は先生を変えなければ変わらない。それまではキャラクターばかり。
帯広:びっちり貼ってしまう。全校生徒22人で。余裕を持って貼れる。
共同研究者A:鑑賞教育の集結を感想描かせて終わらせることが目的ではない。見て「うわー」と言うのが目的。きちっとした文章にするのが目的ではない。そういうのをその子なりに言葉ではない感動を味わわせることが目標。この子何を書いたのかな。文章を書くことで下げることもある。私は絵描きですが、自分でもある。良く感想を求められるんですが、絵を描いた本人も変わってくる。ものを見ることで感動を味わうこと。見えないものを見えるものを通して表現すること。カボチャはカボチャを描くのではなくて「おいしそうな、僕が育てたカボチャ」なんですよ。人間はそのものから連想する力を持っている。それが現代生活の中で子ども達や私達はものをものとしか見ない現象がある。そうではないと言うことを、「カボチャを見てどう思う」とするのが教育だと思う。
空知南:ホントにわからないこと多くて自分がどう伝えなければならないかと考えています。今この現状を見て大切だと訴えたいと思います。

ここで昼食
# by nobuhiroshow | 2007-10-10 06:30 | 全道教研