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発表を終えて

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 転勤もあり、板書の改善ぐらいしか目新しいこともなく、鑑賞フォーラムで発表したことをベースに多少整理して発表を行った。前回は移動の飛行機の中でもノートに話す内容を整理して、20分間話すことができるだろうかと不安であったが、今回はそんな不安もなく、余裕を持って発表に臨むことができた。しかし、なぜか自分の発表の直前に急に緊張感が高まったり、パソコンのコネクターをホテルに忘れてしまい、ウィンドウズのパソコンを貸していただいたりとトラブルもあったものの、何とか発表を終えることができた。

 3名の参加者から、アレナスの対話型の学習指導要領とのズレ、ナビゲーターとしての関わり、評価について、生徒の意見を集めるために付箋などの活用は考えなかったのかとの質問を受けた。
 また、懇親会などの場面で、子どもの姿の見える発表で良かった、共通事項を意識した板書や対話の関わり方を工夫するともっと良くなるなどの示唆をいただいた。
 自分ががんばってきたことが、多少なりとも良くも悪くも評価されるということは本当にありがたいことである。これからがんばっていく活力が湧いてくる。まさに勉強させていただいた貴重な体験であり、高知へ来た甲斐ががあったと思う。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 01:22 | 美術教育 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない12

11 鑑賞はやめられない
 授業中の話し合いが停滞することがある。意見もあまりでない。明らかに別なクラスでの授業とは違い意見もあまりでず,多様な意見にはほど遠い。今日の授業は失敗だったかなと不安になる。そんなとき,授業後の鑑賞カードを読んでみると驚かされる。誰も発言していない自分の意見をカードいっぱいに書き込む生徒。それも教師側の予想以上の多様な見方・感じ方が書き込まれている。少ない発言や交流をヒントに,一人ひとりの中では様々な思いが生まれている。つまり,授業はそのための種を播く場になっている。まさに,作品のもつ力の偉大さであり,子ども達の本来持っている力の何と大きなことかが示されている。対話を通した鑑賞はその力を最大限に引き出すもっとも効果的な方法ではないだろうか。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 01:06 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない11

10 対話式の広がり
 旭川市教育研究会図工美術部の鑑賞部会では,対話を活かした鑑賞に柔軟に取り組んでいる。第一印象をカードに貼って黒板に貼ったり,グループ討議を取り組んだり,教師対生徒で対話に取り組んだり様々であり。その授業実践も広がっている。
 また,その特徴の一つとして,実物大もしくは実物に近いサイズの作品の鑑賞である。2003年には,長澤廬雪の『虎図』を実物大の襖に貼り付けて大きな虎が襖を開け閉めするたびに胴体が離れたりくっついたりする様子を実際に体験しながら鑑賞したり,伝俵屋宗達『風神雷神図屏風』のように,実物大の屏風を作成してそれを市内各校で借用して,鑑賞の授業に取り組んだりもしている。特に,『風神雷神図屏風』では,教科書などに載っている平面の状態ではなく,あくまで屏風として折れ曲がっていることや,二曲一双であることから屏風同士の距離や位置関係を返ることで,感じ方が変わるかどうかについても試してみた。環境についても工夫し,暗幕を締め,揺らめくろうそくの火のなかで鑑賞することで,さらに味わい深い物なるように取り組んだ。中学校においては,さらに対話を活用した実践を積み上げて,どの題材だと効果的な,広める題材や,深める題材を探っていければと考えている。そして,題材の目標を踏まえながら,作品についての情報をどこまで教えるべきなのかについても検討していきたい。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 01:04 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない10

9 成果
 子ども達は,さらに鑑賞をたのしむようになった。鑑賞の授業は,学期に1回,何の予告もなく実施する。美術室につくと,暗幕が閉まり,ビデオプロジェクターがついている。そのときの「やったー」の声。そして授業が終わった後の「またやりたい」という声。3年生になる頃には,さらに幅広い解釈が生まれ,何度も授業した作品でも新しい発見があったり,絵を見ることが好きということが伝わってくる。昨年度の3年生が1学期の時に取り組んだ『クリスティーナの世界』では,授業の最後に「先生,本当はどうなんですか?」と尋ねてくる。3年生ともなると,単なる絵だけ,作品だけの世界から,作者の生き方や人物にも興味を広げて,さらに知りたくなる。そんな時にどこまで授業の中で話していいものなのか,また悩みが生まれる。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 01:01 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない9

8 扱った題材一覧


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by nobuhiroshow | 2008-11-04 00:54 | 鑑賞 | Trackback | Comments(2)

たのしくなければ鑑賞じゃない8

7 その他の改善点

(1)基本の流れ
 絵との出合いがあり,作品・他者・自分との対話を経て,ふりかえるという流れです。見ていない人にもわかるような解釈(この絵をどう見るか・ある程度の客観性)と感想(自分の個人的なさまざまな思いの集約・あくまで主観的なもの)を書かせていました。
 最初の頃は第一印象を書かせていましたが,やめました。その理由は,全体図や拡大図を見せる段階で一人ひとりのつぶやきが出てきます。また,書くことは定着させる作用と持つが,書くことで発表する意欲を失わせることにもつながります。書かないことにより,発表したい,伝えたいという気持ちにつなげたいと考えています。
(2)時間について
 最初は,アレナスの本にあるとおり,15分程度で1つの作品を見せて対話しての鑑賞をしてみました。1時間の授業で多いときには3作品を鑑賞したこともあります。ただ,見て語るだけなら,3作品できますが,最後に解釈やふりかえりを行うのであれば厳しいところです。
現在は,見る時間を5分。作品・他者・自分との対話の交流を30〜35分,最後にふりかえる場面を10分として行っています。
この時間での発言者の数は5〜10名程度。一人で何回も発言する学級もある。発言しないから考えていないのではなく,しっかり考えて作品を味わい,たのしんでいる。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 00:51 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない7

(1)箇条書き
 対話式の最初から板書は重要であると考えて,最初は箇条書きしてみる。しかし,もっとわかりやすい改善が必要。授業の振り返り場面で概観が見渡せる様にしなければならない。
 これは,分析批評での板書の活用の延長である。分析批評の場合,絵に描いてある物,人を確認して質問をしていく。そのときに物や人を板書して確認する。授業の最後には黒板いっぱいに質問に対する生徒の質問の答えなどが残ることになる。

(2)ファシリテーションマトリックス
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             徳岡神泉『刈田』のファシリテーションマトリックスの例
 そこで考えたのが,ファシリテーションマトリックス(下図)である。生徒の発言を黒板に板書するときに,その意味(価値)に応じて板書する位置を調整していく。最初の発言を基準として中央付近の高さに板書し,横軸は絵の中に描いてあるものの位置関係に対応させる。ワークショップに進行役としてのファシリテーターと座標軸としてのマトリックスを合わせた言葉。
 この構想の原型は,昔テレビで放送していた『欽ちゃんのどーんとやってみよう』(年代がばれてしまいますが)ここで,笑った人は年代がばれてしまいますが,知らない人に説明しますが,視聴者からのコントをよい子,悪い子,普通の子が演じるんですが,その受けた笑いのレベルによって,これは,バカウケ,ややウケなどと分類して置いていきます。最後に今週の欽ドン賞決定—とする番組です。それを2つの軸の座標面で行うということです。

(3)ファシリテーションマトリックスの問題点
 生徒達が,よい評価を得ようと,黒板上の位置を目指す懸念が払拭できない。言いかえると評価を気にした発言をしてしまうのであれば,純粋に自分で感じたことや,友達の意見から自分の意見を変えたりすることがなくなってしまうのではないか。

(4)現在の形
 現在は,単純に絵の部位と黒板を連動させて,生徒の意見を単純に配置していく。意見同士の絡み合いを関連づけて板書していく方法。また,黒板右側には,作品のテーマや主題を各欄も設ける。(最終的にこの絵は何なのか? 主題やテーマも考えさせる)
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(5)新しい試み
 さらに板書を見易くするために,生徒の発言の質で色分けする。具体的には,見てわかる発言を白,自分なりに想像したり類推した発言を黄色,もっと深い作品全体のテーマなどについては赤色で板書する。この2学期の鑑賞から取り入れてみたので今後の検証が必要である。

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葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の板書
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 00:50 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない6

5 対話型鑑賞の授業化(板書の活用)
 アレナスのギャラリートークと学校教育の鑑賞の授業は別である。
 アレナスのギャラリートークは,美術館で行われ,本物の作品を見ながら,どんな人かよく知らない一般人を対象にするものである。鑑賞に対する評価は行わない。それに対して,学校教育での鑑賞授業は,学校で行われ,本物の作品ではなく,掛図やプロジェクターの画像などを見て行う。相手は普段受け持っている児童・生徒なのでよく知っている相手を対象とする。学校教育であるので,評価を行う。
 こういった違いを踏まえた上で,学校教育の目的を踏まえた授業化を考え,改善を図る必要がある。
 アレナスの対話型のギャラリートークを授業化にあたって一番考えたことが,いかに意見交流を活発化させ,最後に自分なりにふりかえる場面を作らせることができるかという点である。
 対話が活発になると,ポンポン意見が出てきて,会話の迷子になってしまう子どもが出てきたり,途中の対話を忘れてしまう子どもも現れる。そこで,板書の活用をはかることにした。話(言葉)は消えてしまうが,文字は残る。このことが生徒のふりかえり場面で効果を発揮するである。

①アレナスの対話型鑑賞を授業化への不安
 はたして,話はまとまるのか。鑑賞の授業として成立するのか? 生徒の話が脱線して収拾がつかなくなってしまわないか。
 発問を事前に用意しておくそれまでの方法とは違い,話の進む方向によって,子ども達の話の中から詳しく聞くことが出来る。子ども達の発言にないことについては話題を触れない。とにかくその学級ごとに状況は変わるので,ふたを開けてみなければわからない。しかし,やってみると,予想外に広まりや,深まりがでてくる。今までの解釈よりも生徒の解釈の方が正しいかもしれない,という意見まで生まれてくる。生徒も乗り気である。教師としても,子ども達の予想を超える反応に毎回振り回されて緊張しなければならないが,多様な味わいや深まりのある鑑賞は約束される。この効果は以前の鑑賞にはないものである。これはいけると決断できた。

②板書の重要性
 生徒達は,作品と出合い,作品と対話する。そして,教師側から「何が起こったのか?」,「どうしてそう思ったのか?」と問いかけられて,自分の考えを述べていく。そこで他者(=友達)の考えを知り,自分の考えを深めていく(自己との対話)。最終的には,今日の授業を振り返り,鑑賞カードに,作品の解釈(主に客観的な説明部分)と,感想(主に主観的な感じや味わいなど)をまとめる。そのときに,授業全体を振り返られるように板書上に対話の痕跡を残すことは有効な手段である。言葉は消えてしまうが,書けば定着する。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 00:23 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない5

(2)分析批評についての問題点
 上記のことから教師側にとっては,ゴール(着地点)が見えており,授業を進めやすい。子ども達も,ある程度,目指す方向に到達することができるということが利点である。けれど,それでいいのか。他の見方をしちゃいけないのかという疑問を感じていた。一般的な解釈で納得する人は問題なくたのしい。しかし,そうでない見方をする人にとってはたのしめない。言ってみればONLY ONEのたのしみである。必ずしも作品についての知識を伝達しなければならないのか。絵の意味は一つしかないのか。という疑問が頭に浮かんでくる。

(3)対話型
 先ほどのシャガールの『彼女の周辺』を対話型で鑑賞すると,

 プロジェクターあるいは掛図などを使用し,同時にA4の個人用の画像のプリントを用意して細部も観察できるようにする。レーザーポインターで画面を指しながら,全員で確認する。(生徒用,教師用で2本使用)

 作品を見て,
T:「何が起きている?」
S1:「悲しそう」
S2:「死後の世界」
T:「どんな物語があるでしょう」
S1:「女の人が泣いている」
S2:「男の人の顔が逆さま,鳥から手」
T:「どうしてそう思ったの?何を見てそう思ったの?」根拠を探り,理由付けすることで思考が深まる。

感想例
・悲しみどん底の中のわずかな希望
・悪魔的な画家
・作者の夢

 例外・・・・女の人が携帯かけている(今の生徒の考え,時代を説明したら絶対出てこない)
 上記のように,他の生徒の考えと自分の考えが教師の関わり(ヒント※見方を広げ,視点を変えるもの)などによって,感化されながらお互いに影響しあい,新しい意味(価値)の創造につながる。生徒にとっては,作り出す喜びである。言ってみれば,誰もが自分が認められる。その意味ではみんなたのしい。みんなちがってみんないいたのしみである。それらは自己有用感,自己肯定感へとつながる。また,意味の広がり,意味の深さを比較すると分析批評よりも対話型の鑑賞の方がそれらは大きい。
 これらのことから,学びの質が深く,広めることができ,多様性のある鑑賞のできる対話型の鑑賞は生徒にとって,自分にとっての作品の意味(価値)を作り出していくために優れた方法だと言うことができる。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 00:21 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)

たのしくなければ鑑賞じゃない4

4 両者の比較
(1)分析批評
 自分の考え(第一印象)を教師の主導(関与)によって既存の価値へ引き上げる。生徒にとってはわかる,理解する喜びである。

シャガール『彼女の周辺』(彼女をめぐって)の実践

 奇妙な鳥,天使,うっすらした人は誰なのか?(解説等にも説明がない)描かれているものから類推する。
①分析批評的・・・・描いてあるものを洗い出して→意味へ
・描いてあるもの・・・・・ろうそく,樹,ネックレス
・描いてある人・・・・・・ピンクの人,首が逆さまな人

②情報は与える
  マルク=シャガール(    〜     ,ロシア)
③テーマに迫る発問
ア 第一印象    不思議,気持ち悪い
イ 首が逆さまな人は誰?
  正解はマルク=シャガール
ウ 青とピンクの意味は?(対比されている) 
青・・・・・憂鬱(ブルー),冷たい,暗い
ピンク・・・華やか,春,恋
エ ピンクの女の人の意味は?(青の中のピンク色の存在)恋人・妻・単なるモデル
自分がそうだと思う人の人数を数える。そして正解は?

オ そうだとすると中央の街はどんな街?
二人が出合った街,結婚した街・・・・

 以上の様に授業を進め,最後に解説をする。
「この絵は・・・・実は,妻サラの思い出を描いた絵
ロシア生まれのユダヤ人だったシャガールは,フランスで画家として妻と幸せに暮らしていた。しかし,第二次世界大戦でドイツがフランスを占領。ユダヤ人の迫害から逃れるためにシャガールはアメリカへ渡る。1945年ドイツが降伏し,フランスへ帰れると喜んでいた9月,伝染性の病気で,妻のサラが3日で亡くなってしまう。シャガールにとっての創作のミューズだった妻の存在は大きく,9ヶ月間絵筆を取ることができなかった。シャガールが再び絵を描き始めた最初の1枚がこの絵,『彼女の周辺(Around her)』です。亡き妻との思い出をちりばめ,ロシア?(ユダヤ)のことわざから,驚きを表す表現として頭を逆さまにして自分の姿を描いている。中央にあるのが,ロシアのスモレンスクの街。この街で二人は出会い,結婚したのである。
最初に不思議,気味悪いとみんなが思っていたいこの絵は,実はこんな意味があったんです。」
 ここで,感想を書かせる。

 以上が分析批評の具体例である。描いてあるものを分析し,発問をヒントとして,意味を類推(誘導)し,「実は」と種明かしをして,まとめる。第一印象と本当(一般的な解釈)の意味に差があるほど生徒の印象に残る。
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by nobuhiroshow | 2008-11-04 00:18 | 鑑賞 | Trackback | Comments(0)