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全国教研還流報告 その58 本当の幸福とは何か

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司会1:命と出会う美術教育について。
共同研究者2:ずっとだまっていて、早く帰りたいなと考えていました。ある生徒の顔を見てこんな話をしたいなと思っていました。
去年の暮れに宮本輝さんが、生きる勇気、生きる喜び、そしてほんとうの幸福とは何か、それを伝えたい。僕が美術教育で教えたいのは同じだなと思いました。世の中見ているとお金のことばっかりですよね。美術って言うとお金の面では役に立たないことばっかりだと思います。ユングの言葉で人が生きていくために必要なことは。1朝起きてやるべき仕事があること。2美しいものを美しいと認めること。3感じたことを話し合える仲間がいること。4ほどほどに元気な体。5そこそこのお金。の五つが人間が幸福に生きるために必要なことと言っています。本当の幸福とは何か。小さな命に感動する力。小さな命に出会って心ふるわせる力が美術教育に求められている。小さな草花を見付けて、感動する。美しさを見い出す。ゲットーから出てガス室に送られる人は、最後の最後に絶望から救ってくれるように思います。命の輝きに感動する。私たち自身の命にも感動する。子ども達を感動する取り組みを見せてもらいましたが、目立たない子や、重たい思いをしている子や、問題を抱えたクラスでがんばらなければならない。私たちが輝いて、周りの子どもが輝いて、とつながっていきたい。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 22:04 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その57 弱い刺激を見る方が五感は磨かれる

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司会1:人と出会う。感動。今子ども達は大人と出会っていない。自分の親とも出会っていない。午後から問い返しや聞き直しについて話したい。

共同研究者1:経験学習なのか情報学習なのか。経験が全くなくなっているのではなくて、それが素通りしている。なぜか。経験が持っている刺激や量が問題。落ち葉をキレイって言わない。ゴミって言う。強烈なものと感じない。子ども達の取り囲む刺激が強くなっている。売れる情報が強くなっている。けんかは学習できる。小さな花を見付けたことは見逃してしまう。カメラマンは一つのことをとるために何枚もとる。僕の顔をとるだけで、フィルム2本使う。その中には選べるものがある。数枚とっただけではそこに何かあるのか。経験学習ではなくて情報学習になってしまうのでは。技法が出てきて、そこに自己はない。デジカメはこの後広がってしまうので、気をつけたほうがいい。弱い刺激を見る方が五感は磨かれる。小さなもの、ほのかなもの、かすかなものを見ていってほしい。自分の信頼する仲間と、共有し合う感情を持つこと「おいしいねえ二人で飲んだらね」これを1週間親子でやると、こどもが甘ったれになる。子どもも行ってくる。生産技術が作ったものを鵜呑みにするだけではいけない。

司会3:言葉なんですよ。川崎浩さんの詩。涙を岸水寄せると言っている。人の涙を見ていなければ生まれてこないもの、言葉ですよ。僕ら、子ども達にがさつな言葉を投げかけていないか。言葉に対しても訓練も必要。ものの見方が変わってくる。

司会1:ではお弁当にしましょう。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 21:22 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その56 壊れるものの一瞬一瞬が大事

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○:小学校1年生の例です。ポニーのときの「うんこ」や「べろー」とかあんまり興味を持たなかったです。隣の先生はいっぱい写真を撮っていました。自分が好きでないから、その写真を利用しなかった。自分がここと伝えたいと思うものしか絵にしない。感動する人に出会う。三重の話もありましたが、大きくなったお兄ちゃんも1年生も同じなんだな。自分が好きなものを描くのは。できた絵本が20人の気持ちを動かす。感動が人を動かす。
○:デジカメについて、空間認知ができないボディバランスができない。すぐ忘れる。だから思い出すために利用する。がんばって歩いたねといったらニコッとする。それを残すのに使う。使い方だと思うので、この点が危険と認識しておけばいい。子どもは自分の体で遊び、もので、そして人と遊ぶと段階がある。写すと言うことがいいとは思わないけど、養護学校では写すから始める模倣からということもある。自分を表すことがそこから生まれたらと表います。
司会1:聞き返しについて、自分に聞き返したいことを考えて欲しいと思いました。
○:見ることに限定して話します。デジカメとカメラの違い。使い方だよな。妻が面白い授業研究会に行って大笑いしてかえってきた。自分が書いたラフスケッチを版画にしたらこうなるよというソフトがある。詰まるところ使い方だと思います。見ることに関しては、大人の理論。僕の理論を子どもに先行させます。僕は平和を希求する人間になって欲しいし、人権を尊重する人間になって欲しい。そのためには美術で見ることには大切なことがある。嫌いな人でもいい面があったり、好きな人でも嫌な面があったり、軍事的なカッコイイ国もそうでない面もあるよ。根底にそこを据えてデジカメを使いたいと思っています。

司会2:きのうから悶々としていました。全体講演で自分だけの画像をとりたいが為立ったまま前に写真を撮りに行った。大事なことを何教えてきたんだろう。と自分に思った。あの姿を見て、ショックを受けた。デジカメって自分のとりたい画像のコレクションじゃない。壊れるものの一瞬一瞬が大事。持って帰れないものを家に持って帰るために使う。子どもと作品を使ったり、語る会。2ヶ月に1回している。親を集めている。あたし達もつながらなければならんし、親ともそうだ。最初は4,5人。それが40人くらいになる。私たちが広めるのを怖がったらいけない。初めて新採が来る学校にいる。学校は高齢化社会です。指導教官とびっちりです。きょうは1日教室に入れる日。子ども達がいろいろ言ってくれる。子どもの所に帰りたいと私に言ってきた。そういう気持ちを指導教官に言いなさい。それで交渉して少しずつ帰れるようになった。何で帰りたいと言っているのかというと、子ども達が訴えかけてくるその目の力、その気持ちに感動してその新採が変わってきた。心の教育についても心を教育しなさいと国に言われている。人を愛しなさいとは教えるが違うところで国を愛しなさいとか、そこは違うのではないか。親に分かるように砕いて言う。つながる広がるには時間もいるし勇気もいる。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 21:16 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その55 見るっていうのは関わるってこと

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○:見ると見つめると振り返るって、リンゴを描くときの話。見るっていうのは関わるってことだと思うんですよね。詳しく描きたい時、再現をしたいときにデジカメに頼ってしまう。その場面を再構成したときに、友達とモデルをしてもらうというのも関わりだと思うし、デジカメには抵抗がある。葛藤が子どもにも教師にも生まれるとそれを乗り越えようとしていけるし、方式はその葛藤から逃げているのではないか。子ども達が描くものに対して、受け取って納得ではなくて、どうしてこう描かなかったのと、聞き返せば良かったなという話が私は以前できなかったのに。自分は分かっているはずだというおごりですよね。自分は本当に子どもを見ているか。生活ファンタジーの絵も気づかなければ、伝えたいことにずれが生じて、関係がずれてしまう。描かなくなってしまう。ぐるぐるしたことに、本当、そうなんだよね。と人に伝わった、親に伝わったと思って、また子どもはクレヨンをとると思う。どう議論をするかというのは、どう自分の中に落としていくかだと思う。持って帰れるものがあれば広まると思う。隣の先生にちょっとずつ、こんなこときいたんだけどどう思う。聞き返しが大事なんだと思う。
○:最近携帯のマナーが悪くなっている。最近教師が会議中にメールを打っている。それは許せないよね。昔は現像してその日には見れなかった。今はデジカメですぐ見れる。電話に線があるのがおかしい。「キンモクセイのにおいがするね。」とか「夕焼けがキレイだね」と子ども達と話すときに、この瞬間をとどめたいというときにはデジカメも便利。自分の意志で使う分にはいい。つまり使い方の問題ではないか。自分のクラスでは、予定帳を描いていますが、ぼそっと自分の世界を書いてくれます。「今日柿の実を食べました。おいしかったです。」パソコンでも画像を作るのは、自分の感性だし、全否定ではなく、使い方だと思います。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 21:05 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その54 デジカメと見る

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○:発言には制限時間も必要だと思います。デジカメと見るの話で行きます。今気になっているのはその利用の仕方です。不自然なポーズの作品。描いているではなくて写している。見るときには手で触ったりにおいを描いたりが必要。それがデジカメにはない。7の部分が今大変なんですが、手抜きをして見栄えのいい作品を描いているので使い方を間違えなければならないと思います。
○:時間がないからデジカメを使っている、肯定的にではなくて、迷いながら使っている。教研の中身をどう伝えるのかという、隣の人とも話もできない。私は小学校ですが、何を隣の人に伝えるのか私自身できていないと思います。子ども達も大変だが、先生達も大変。中学校では専科の先生も退職したら、それを補っていく方法なのか。免許外の先生が教える状況もある。ここは学ぶことができてラッキーなんだけど、キミコ方式がいいと思っている人たちにどう関わっていくか自分の県に戻ったときに。
○:アナログの世界の子どもについて話します。何かを描くときに唄を歌って踊ってから描く子が昔いました。金魚描くときに赤いベベ着た金魚という唄を歌ってから描く。絵を見ただけではそんなことを分からないが、そういうのはデジカメとは違う世界だと思う。テーマとしても命と出会うというともっと重い子ども達を普通の学校で受け入れてきた。定年までに後1年ですが、それまでに養護学校がなくなればと思っていますが、逆の方向に行っている。子どもと共有するということに対して、その子に対することも必要だが、周りの子に聞くことも必要。その子が荒れているのは親が仲悪いからと知っている子が必ずいるわけで、教師と子どもが共有できる関係になっていくことが必要。危機意識に関して、時間数だけでなく別な危機意識を持っています。心の教育という問題。心と深く関わった教科だと思います。心のノートが使われているかどうか文科省の調査がありましたが、養護学校はその調査からはずされていた。戦前の修身は全部の教科の上にあったように、美術や音楽はそれを支える大事な教科でもある。心の教育をさせる大事な教科と利用される危機もある。有名な絵描きさんが戦争の絵を描いている。心を解放すると、利用されるは全然違う。
司会3:日文の『フォーム』に戦前の教育に戻さなければならないという文が載っていた。2年前です。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 20:58 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その53 一心不乱優勝

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司会1:見るデジカメということ。遠慮なしに午前中しかいないひともいます。
○:見るに関して、この赤いボールペンを同じように見えているかどうかは分からない。その前提をふまえないと危険。青い空と言ったときに、同じことを同じようにふまえられるとは限らない。見ると言ったときも、先生が子どもを見ているときも、先生は子どもに見られている。4の方にもつながると思う。デジカメで写したものはその子の目や体を通したものと違う。参考にするものにしかならない。本質を考えた方がいい。
○:人がとった映像と、自分がとった映像は違う。実際にものが写ります。実際に見えているものを見ていいのかな。見えないものを実際に見ることが大事かな。心や命の方が大事かな。自分の生まれ育った地域好きですか。自分のこと好きですか。ほとんどの人が好きというかもしれない。鹿児島の人の話のように地域に戻って来るという話。中には帰りたくない、この地域出たい。捨てるようにさせられた子。そこを見ていきたいかなと、そこをどうやってみるか。それで美術教育でできないかな。共同研究者1の先生の絵日記、そこに親の関わり教師の関わり、兄弟の関わりもあるのかも。俺は地域出るという子ども、実は部落で育った子ども。その子は青年になってこの地域に生きるということで働いています。いろんな人の姿を見てきたからです。生きる姿をどう造形で、共感させていけるか。自分が今の中学校に戻ったのも地域に戻りたかったからです。自分の生まれ育った地域で生まれ育った子ども達にどうするのか。金のネックレス。学校を壊したり、好きでやっているんじゃない。させられている。自分のことを好きと思えない。その地域の子はそんなことしかできないと言われている。それは違うとどうやって見せれるかな。子どもが「おれずっとオール1だし」と言っていた子、その地域の子でした。させられていたことも話し合っていくと見えてきました。彼は野球をしていました。その野球で唯一甲子園に行った先輩の姿があります。これだと思いました。いかに人を見せるか。ある意味子どもからの出発しかない。マニュアルなんかくそ食らえ。甲子園に行った子の作品をコピーしてもらいました。この子の生き様を子どもに見せることで、キンキラキンになっている子に見せてやろう。何をこいつが願ったのか掴んだのか、それをきっかけに、ふらふらしてる子が立ってずーっと作品を見つめていました。そこからその子の取り組みが始まった。彼が初めて鉛筆を握って絵を描こうとした。当然上手くいかない。しかし、鉛筆を握っている。そこで技法ではなく。絵とはなんなんかという話をした。彼が描き上げたのが、この『一心不乱優勝』という作品。輪郭線さえかけなかった。「先生、先生、どうやって描くのか?」と聞くのかと思ったら、「どうやこれ」「でてるやないかおまえ」周りの子ども達も、いったん描き始めると、シーンとなる。何を描きたいのか、何を自分で伝えたいのか。単なる絵はかたち、その中に入っているもの。その子その子に入っているものを描かせたい。甲子園に行った子とも話しました。「俺の絵がそんな風に生きているんだな」と言っていました。地域の知的財産かもしれません。よそから引っ張って来るのではなく、地域の中でできる美術教育なのではないか。地域と人をどれだけ引き込むかが大切。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 06:26 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その52 美術教育の課題

e0040515_65893.jpg司会1:デジカメの話題。見るって一体どういうことなのか。子どもの見るって言うことを問うのは自分自身でも問い直さなければならない。三重の先生が地域との関わりや兵庫の先生の教えることとのつながり、見るってどういうことなのか。内なる真実を見つめていく取り組みになっているのか。題材での新しいという言葉、新しいとか楽しいとかの題材の提案では、それを通して何を学び、価値として学ぶのか。Howと問うよりWhatと問いたいな。
司会3:美術教育の課題です。
1つ目は見ること、見つめる視点と、見ることによって思いを巡らすきっかけ、子どもと共有し合う授業を仕組んでいるのか。
実は、これはこれまでの31次以降の話です。子どもの内なる生命のつぶやきを注意をしていかないといけない。

2つ目は、人間として生きあっていくために何が大切なのか。このことを考えていく立場に立って美術教育を考えているか。
良い絵は良く生きていることを証明する絵。生きていることを実感できあう絵。

3つ目は子どもの生活や命の内なるを受信する教育になっているか。教育は町を元気にする力になっているのか。
高学歴の人を作っていけば、町を離れてしまう。一緒に行きあっている仕事になっているか。

4 教える側の論理が先行し、子ども自身の学ぶ動機が見落とされていないか。
題材が子どもの学びに、(子ども達にどう生き会っているのか)
取っつきやすいだけで選んでいないか。関係作りまで生まれるものになっているか。

5 学び合う人間関係に教員同士がなっているのか。
学び合う中に、先生も入っているのか。人ごとになっている関係に自分がなっていないか。

美術教育は危機だと言いながら、本当に危機感を持っているのか。人間の教育の危機だと思っています。日々目の前の授業の中にそれが表れているはず。美術教育だから持っている力。やっぱり人間って凄い。そんなことを出せる教科。それを出しているのか。危機を叫んでいるだけではないのか。職員室で話し、親に話しているか。
司会3:しぼっていきましょうか。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 06:05 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その51 私たちの弱点

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○:酒井式とかキミコ式とか子どもが描く上では良くないが、大人がする上ではいいのかな。表現ではなく作業ではないかなと思います。次ここ描くんだよ、かたち塗りのように誰でもやればできる。表現ではなくそれは作業。表現とはこんなことをやりたいな、描きたいなと選択して悩みながら進めることがいいことで、見栄えのいい絵がいい絵で、そうでない絵が良くない絵という認識も悪いと思う。発達段階に沿っていないからダメとかも刷り込まれているのではないかな。
司会3:描けない人に描かせたいという思いからキミ子さんは生み出している。学校ではそこまで考えていない。元々子どもと絵を描くことの原点はなんだったのかという問題だと思います。
共同研究者3:キミ子さんは私と同級生なんです。北海道で公開討論しました。そのとき「学校教育はどうでもいいです。」とキミ子さんは言っています。それを学校の先生が勝手に先取りしている。持ち込んでいる学校の先生に罪がある。酒井先生が私の許可なく、美術館の3階で講習会を開いた。結局私たちの弱点をついている。学校の先生はマニュアル好きである。総合学習の本もいっぱい売れていた。いつも本屋さんには学校の先生は行かないのに。2人ともカリスマ性は強い。私も強いですが。私たちの弱点をついているのが心憎いんですが。学級みんなが同じになると安心する。教師の悪い癖。ここでこんなに話していても全国に広まらない。ものを描かすのではなく、ものに関わる背景。ものを借りて描く、リンゴを描く場合、おばあちゃんが持ってきたおいしいリンゴを描くんですよね。ものをしっかり描けば、それが絵だと思うことに隘路がある。特に北海道はとんでもないことになっている。未開宅地なので。
○:現場の多忙化のなかで生まれてきたもの。どうやって子ども達に自信をつけさせたい。その中で手っ取り早くするために生まれたと思います。絵を描くときには7と3の割合。鶏を観察する毎日見るが7、最後の3で絵を描く。その7の部分が少ないのでは。
司会1:自分方式をやっていないかという反省もある。目新しことを生み出すのではなく、原点に返ることが必要。
司会3:大根を育てながら、描かせたくなって、描きたくなって描いてみたら、凄い感動が生まれていい作品になった。絵の具をのせたときからが取り組みではない。大事なのはその子どもたちとどう表現活動をするのか。そこを吟味する。どう生きているか考えている。いろんな矛盾を抱えた子どもがいる。普段の関わりあいがほんとに大事。子どもとの心のやりとりができているのか。

休憩
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 05:56 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その50 酒井式とキミコ方式

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司会1:危機の事実認識からどうスタートするか。体こわばると動けないので「やわやわ」と、屋台(だし)をしまうときにじわーっと言う感じで「やわやわ」と言いながら入れます。そんな感じで進めたいと思います。今の提起に質問ありませんか。
○:酒井式やキミコ方式がだめな訳を具体的に教えて欲しい。
共同研究者1:他に言いたい人がいるでしょう。
○:寺内先生の話に共感しています。その共感がなかなかできない。酒井式とキミコ方式が同じと言われてドキっとしましたが、展覧会でかなり酒井式が出てきている。子どもが描いているのではなくて、先生が描かせている。子どもが本当に描きたいものを選びたいと思っているが、自分も自分式の絵を描かせている。新しい文化と言われると、今までのことはなんだったのか、今の自分の足下を見つめて欲しいので、新しい文化のとらえ方が大事かなあと思いますが、その点について。
共同研究者1:法則化の話が終わったら、この夏出版される親子の話の本を見てもらえれば分かると思います。
○:酒井式は新潟の校長先生の作ったもの。画用紙は子どもの世界だと思います。その子の思いを表せる世界。自分で決めて自分でやっていけるのが多い世界。道具も選べる。美術や図工は生きていることを実感でき、友達とのいい関係も築ける。日本の場合、印象派などの技法は入ったが、その背景があまり語られていない。風景画はほとんど描かれていなかったのが、それも生んできた。もっと自由にあっていいという面がない。見栄えがするような作品を作りたくて保護者にも見せたい人は飛びつく。だいぶ少なくなってきてはいると思う。
○:法則化大反対。あれは図です。教師も子どもも本質は見えていないと思います。大阪の○ちゃんの絵を見てたくさんの造形要素を見ました。落書きのように見えますが、沢山あったと思います。感性で捉えて返すべき、感動で返すべき。私は中学校なので、本当に「校長室に飾るぞ」と声をかけるなり。全部同じ作品。大人を超えるものを持っているのに、それを全部消してしまう。
○:小学校なら全教科教えますので、専門的なものはないですが、クレパスの良さとかペンの良さとか経験しないと分からない。特に養護学校ならそうですが、絵の具一つでも水の加減でも違う。子ども達が体験して好き嫌いもはっきりする。教えるところと、自分を表現する所の兼ね合いが、どういう風にすればいいのか消化不良。
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by nobuhiroshow | 2006-04-30 05:43 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その49 基調提案のテーマの変遷

共同研究者1による資料に31次以降の主なるテーマがあげられていた。

手仕事の収集構造
地域に根ざした工作
生活づくりの潮流
生活づくりと手仕事
内なる美意識を問う
平和教育を問い直す
生活変革をめざす美術教育
生活と美意識
子どもの心に寄り添いたい
人間関係衰弱の傾向
内面的価値の見落とし
子どもの生命と美術教育
人間教育をめざせるか
自己確立と美術教育
学級崩壊に立ち向かえるか
子どもの心と響きあう
真実を見つめあう
共感が支える自信と優しさ
共感飢餓を直視する
未来を信ずる美意識
向き合う美術教育
受信力こそ問われる(「子どもの表現力を問うよりもおとなの受信力こそ問われる」第55次)

こうやって並べてみると、美術教育においてのその当時の中心となる話題が見渡せる。
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by nobuhiroshow | 2006-04-29 21:27 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)