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義務教育において図画工作・美術が必要な理由

ブログ図画工作・美術教育の大切さを訴えるにおいて『多くの方の声を集約し、様々な関係機関に訴えていくための資料にしたり、みなさんとともに「図工・美術教育」が、なぜ必要なのかをあらためて考え,未来を担う子ども達のためによりよい教育を考えていく場としたいと思っています。』との趣旨で図工・美術の大切さを訴える意見を募集しています。時間がかかりましたが自分なりにその思いをまとめましたので、こちらでも発表します。
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教職16年目の中学校の美術教師です。私はこう考えます。

義務教育を通じて育てていくのは将来の日本をしょって立つ主権者である国民である。そのために必要な教育を義務教育の中で行っている。それぞれの教科がお互いに補完しあって心身共に健全な、社会で通用する立派な人間(大人)になることを目指している。数学には数学の良さがあり、国語には国語の良さがあり、図画工作・美術にはそれ独自の良さがある。図画工作・美術だけで一人の子どもを立派な大人に教育することはできないし、数学だけでもやっぱりできない。お互いの教科が絡み合って複合的に影響しあって、子どもが少しずつ成長していくものだと思う。

どの教科でもそうだが、すぐに成果の現れる面と、ゆっくりと時間をかけて成果が認められる面がある。九九の暗唱ができる。漢字が書けるようになる。理科の実験のやり方を覚える。絵の具の使い方を覚えるなどのことはすぐに成果に表れる事である。九九を覚え、計算問題を解くことを繰り返して論理的に思考を働かせるようになったり、文章の読み書きや過去の名作を味わったりすることを通して正しい日本語の使い方ができるようになり、日本人の心の機微を味わえるようになったり、予想を立てて物事を考える科学的な思考ができるようになったりしていく事などは、すぐに成果が出てくることではないが、社会で働き自分の人生を生きていくときには必要となってくる力である。美術以外は専門ではないので説明に問題があるかもしれないがそんな風に考えている。

では、図画工作・美術の育てる力とはどんなものなのだろうか。

私が中学校3年間の授業で生徒達に常に言っていることは、「自分のこだわりを追求すること」「納得のいく作品を作り上げること」です。そして、その結果できあがった作品は「みんな違ってみんないい」です。

生徒達は、3年間で様々な素材や技法に出会います。小学校で使わなかった透明水彩絵の具やコットマンの水彩紙。木材会社で挽いてもらったザラザラのセンの木を小刀で削ってつるつるにするペーパーナイフ。アクリルガッシュで平塗りするデザイン。ドライポイントで表す自画像。自分でテーマを決めて社会に向けて想いを伝えるポスター。高麗石を削って創る抽象的な表現の石彫。
単なる木や石、紙と絵の具が他の人にはできない、自分にしかできない作品となります。だれも自分の代わりに創ることはできない世界に一つだけのオリジナルの作品の数々。

中学校3年間でのたった115時間の美術の時間で一体どれだけのことができるのか。思春期という不安定な中学生のこの時期に美術を通して自分と向き合い、表現していく教科。学年が上がるたびに表現の自由度も増してきます。それだけ逆に難しく、しかしその分完成したときの充実感や満足感はそれこそかけがえのないものとなってきます。自分で自分の良さを実感できる教科。すぐに成果の現れる面としては、色と形と素材とどう格闘して作り上げたかというその作品の質ですが、本当に育てたいのは生徒の心の中の情操面だと思っています。自分にしかできない自分なりの美を目指す心。自分なりのこだわり。また生徒同士、あるいは過去の美術作品の鑑賞を通してのお互いの良さを認め合える心など。それらはじっくりと育っていく面だと思っています。

1953年にジャン・ジオノという人が書いた「木を植えた男」という話があります。一人の男が何十年もかかってドングリを植え続けて森を作り上げるというお話です。1988年にフレデリック・パックという人によって同名の色鉛筆アニメーションとして公開されてもいます。パック自身もたった一人で何年間もかけて何万枚もの絵を描き続け片目の視力を失うという犠牲まで払って制作したものです。まさに木を植えた男そのままの努力とも言えますが、教育とは単なる目先の受験だとかテストの点数を論じる前に少なくとも10年先を見通したスパンで考えるべきだと思います。将来の日本はどうあるべきなのか。そこを考えるべきだと思います。単純に他の国との比較で相対的に順位が下がったからといって方向転換するのは間違いだと思います。

本来日本人は手先が器用で繊細、四季を通じて自然に親しみその美しさを味わい、色の名前もたくさんの種類を使っていました。江戸時代にはヨーロッパをあっと言わせた浮世絵の大胆な色遣いや構図、動物を生き生きと表現する写生(「生を写す」の意)の表現など世界に誇るべき美術文化を持っています。今でもアニメーションの分野などで世界に対してもその文化が継承されています。そう言った精神性や文化を後生に伝えるためにも美術は必要だと思います。

また、現代の環境はどんどん自分の手を汚さない環境になってきています。遊ぶのもバーチャルな仮想空間。ゲームやパソコンなどボタンを押したり、キーボードをたたいたりですんでしまう事が多くなってきています。実際に外で遊んだり、転んですりむいたり、けんかして痛い思いをするなんて事も減ってきています。だからこそ、図画工作・美術において自分の手を絵の具や粘土まみれにしてみる経験が必要だと思います。小刀で指を切って刃物の使い方を覚えたりする経験を家庭ではなかなかできないでしょう。それこそ、人の痛みを想像できない人間になってしまうのではないでしょうか。中学校に入学してくる生徒に毎年「カッターで鉛筆を削ったことのある人は」と聞いていますが、その数はこの16年で減ってきている傾向です。そして実際にカッターで鉛筆を削ってもらうとやっぱりうまく削れない生徒が多いです。このままではいけないと毎年強く思います。

中学3年生への最後の授業はこんな言葉をかけて終わります。

「なぜ、美術なんか勉強するんだろう?」と思ったことがありませんか。本当に人生に美術は何か役立つのでしょうか。確かに絵が描けなくても生きていけますし、木を削れなくても普段の生活には困らないでしょう。
 もしあなたが新しい品物(たとえば携帯電話)を買うとき、あなたは機能や価格だけで判断するでしょうか。多分、その形や色も含めて自分の好みのデザインのものを選ぶと思います。効率だけを求めた世の中なら、色も形もどうでもいいでしょう。素材のままで色などつけず、加工しやすい簡単な形で、安くて使えれば事足りると思います。しかし、人はその日の気分によって服装の色を決めたり、思い切って部屋の模様替えをしたり、時には絵を見て心を癒したり、実際に手を動かして何かを表現していきます。
 美術がなくても生きていける。でも、自分なりによりよいものを表現しようという意識を持っていれば、より豊かな人生を生きていけるのではないか。そう思っています。この3年間であなたが作った作品を思い出してください。ただの紙や絵の具、木や石というものが、あなたという存在を通して世界に一つしかない価値のある作品を作り出したことを。

中学校3年間の115時間で蒔いた種がいつか森になることを祈っています。
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by nobuhiroshow | 2005-11-30 00:08 | 美術教育

さわってきました安田侃

以前から気になっていたJR札幌駅の石の彫刻。e0040515_932197.jpg
この土日に結婚式があり、家族で札幌まで行ってきました。

「さあ、帰るぞ」と言うときになって思い出し、石の前で記念撮影。子どもと一緒に穴をくぐってきました。

当然、しっかりさわってきました。ひんやりしてつるつるで気持ちよかったです。

たしか安田侃だったなと思いましたが、題名のプレートもないので後で調べてみると、安田侃の「妙夢 Key of dream」というそうです。JR札幌駅にも札幌市内にも気になる彫刻がいっぱいありました。
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by nobuhiroshow | 2005-11-23 09:31 | 鑑賞

作品を語る会に参加しました

第42回 全空知子どもの作品を語る会 新十津川大会(会場は新十津川町立新十津川小学校)に参加してきました。
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2年前の全道造形研の時とは違う本来の作品を語る会なのかなと思って参加しました。悪天候の中集まった空知美術教育研究会(空美【くうび】)の皆さんの熱意ある、アットホームな雰囲気はうらやましい限りです。題材屋台、1年生の工作の授業、車座になっての作品を語る会。幼児・障碍児・小学校1〜3年、小学校4〜6年、中学校に分かれて語り合いました。1日いっぱい体育館で図工美術にふれあい、話しの尽きないたのしい時間を過ごさせていただきました。この語る会が42回もずっと続いているというのも納得できます。

やっぱり先生方がそれぞれの実践を持ち寄ってざっくばらんに話し会う。もっとも基本的な交流の姿だと思いますがそれが一番大切なのではと思いました。
空美のみなさんありがとうございました。詳細については後日紹介したいと思います。

それにしても、すごい大雪でした。旭川に戻ったら全然雪がなくてビックリです。
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この写真は前泊したコテージの駐車場の朝の写真です。長靴が必要なくらい降ってました。
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by nobuhiroshow | 2005-11-18 04:38 | 美術教育

稚内の報告(その23)2日目のまとめ

e0040515_22392876.jpg○今日の部分しか言えませんが、いつも課題として残っている部分があります。鑑賞のことが重点的に取り上げられるのが珍しいです。以前はネックになっていました。クローズアップされてきたのが残念。時数削減でわりと手軽にできる実態もあるときいています。今日の実践は大切なものだと思いに駆られました。例えばなぜその作品を見せるのかもっとしっかり教師自身が明確にするべき。神田日勝が好きなら熱く語ってもいいです。でもこれはあまり広まらない。

ともすると芸術作品を深読みしすぎることも危険性もある。神田日勝さんはあそこに書かれているほど熱くはない。けど教育はドラマですからいいんですが、方法として間違わないように。ゲルニカは未完だと言っている。芸術としてはまだ一考を要する。2つの観点が必要。美術を使って何を育てるのか。芸術で教育をする。芸術を教育する。ゲルニカなどは芸術を教育する。絵の見方はどう見るのか、解釈するのか、中学3年までに何とかして欲しい。ドラマ性を強調している。芸術家はドラマだけではない。時代、色、線かもしれない。ドラマだけを拾おうとする人になってしまわないか考えて欲しい。

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○○方式について、これはことさらなんです。今回のようにきちんと取り上げて、話し合ったことはない。やはり相当な勢いで教育現場に入ってきている。酒井式に対して、その一部は自分でもいろいろやってきている。ただ、○○方式を否定的にとらえることは、描くのは子ども、先生ではない。先生にそんなセンスはない。こどもの方が凄い。教えないと子どもは描けないという図式。教えないとのびない。美術教育の場合は育むです。持っているものを育む。方式はものそのものを描きますよね。あの顔は頑張っている顔じゃない。その子その子にとって顔張っている顔は違う。子どもに対して越権行為。ものではなく状況を描くのが絵なんです。リンゴではなく、おいしいを描くんです。言葉かけが大事。三つどもえで絵を創る。子どもの絵は聞いて分かる。ただの線が聞いたことによって人間に見えてくる。自分と子どもとのスタンスをずっと縮めてみる。制度は図工美術教育に対して厳しい状況になってくる。ネックは現場の先生。隣の教室の先生。自分の学級の親なんです。教科書使って授業していますか。使わないのは制度違反なんですよ。学校現場にそれが広がれば良いと思います。底辺から進めて欲しい。

e0040515_22402229.jpg○今回の発表、論議を聞いて交流も有意義だったと思います。今まで語られてきた部分、ふくらみはできたと思います。題材設定の理由の重要性が証明されました。好きなもの、卵だからそこにつながるものがあったと思います。一つだけ、何々とは何かと考えられる子どもを育てましょう。と思っています。生活水準の不安定な人がブッシュを押す。日本も同じ。そんなときに、思い浮かぶのはナチスのことです。今中学生の子がどんな教育を受けてきたかで変わってくる。容姿端麗の子を行進させる。その子達が30歳になったときにナチスを応援する人になる。システムを支える指導要領に無批判になってしまったらまずい。指導要領のベースになる三浦しもんの話、一部のエリートでいい。それに従う人間がいればいい。凡庸な人間がいればいい。江崎玲於奈。できる子はできるなりに、できない子はそれなりになる社会になればいいなと言っていました。それを実現させてはいけない。結果より、過程を重視しましょう。心の中を重視しましょう。指導しないで支援しましょう。オープンエンドにしましょう。いいねえ。人によっていろいろだね。それはいい。ファンタジーもいい。人と人とのつながりの物語はどんどん消えていって。爽やかな物語。みんなちがってそれでいい。そんな教育がはやってきている。関心意欲態度の評価にも表れてくる。その評価をやめましょうといったらいいんでしょうか。個性を大事にするのと教えるものをないがしろにするのは違うと思う。どの子ものびるようにすべきだと思います。ともすれば周囲とも関わりをさけ、流れに無批判な子どもにならないように。その逆は何か。自分の考えをもって周りの人と協調していけるようになって欲しい。自分の感情を持って自分で表現できる子ども。そういう子どもを育てることを課題にしてほしい。上川のレポートで関連がありましたが、そこも押さえておいて欲しいと思います。

○美術美術と言ってしまうと他の教科に敬遠されてしまう。自分も感想を言ってきて、それで感想を言ってもらえる。昨日の支部の中で話をしたら、今日の分科会に来てももらえました。そんなところからも進められるのではと思います。

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以上で報告を終わります。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

最後までとぎれることなく続いた熱い語り合い。

それがこのブログから少しでも伝わればと願っています。
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by nobuhiroshow | 2005-11-15 22:34 | 全道教研

稚内の報告(その22) 2 教科存続の危機に対してどうするか。3 成果をどう広げるか

○教科の存続の危機に対して、私の方で取り組んでいること。今顔が暗い。でも今も暗い。稚内に来るの嫌だなと思ったんです。この3日間でいろんな働きかけができないかと考えました。けど、こっち来て良かったです。バーチャルな世界の話です。公的な発言をインターネットで公開しています。あちこちに向かって発信していますので、アクセスして頂きたい。今度は教科がなくなるかもしれない。働きかけをしなければならない。やるだけのことはやらしてもらう。今回の決議も大きかったと思う。皆さんの美術教育が大切だよと言うことを発信してもらいたい。一番は子どもの姿ですが時間がありません。まずは先生方の意見がほしい。そこで教科の本質を考える機会にもして欲しい。共同研究者の立場を超えてしゃべっています。微妙な立場です。美術教育 うってもらうとたどり着きます。意見をください。自分の運動論ですが。とにかく動くしかない。皆さんやっていきませんか。

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○専科でないから、誰でもできる。いろんな立場があると思います。どう広げるか。小さなことからこつこつと。保護者に、支部で、職員室で。

○学担1年目で、なくなったらどうしようと心配しています。子ども荒れるよね。学校長に呼ばれて、怒られる。電気ばんばん消して、ある日学校に来ると池がなくなっている。ささやかな池。魚もいたのに。学校は暗い。校内研に向けて教師も荒れている。写真に画鋲をさす。教師が心を失ってしまってはおしまい。時間割毎週提出しているけど、時間は減っていると思う。お客さんのための作品作りに追われている。政策の成果だと思っています。イラクの問題もある。教え子を戦地に送っている。美術芸術の力は偉大だからヒトラーも使いましたよね。今の子ども達に表現の楽しさを伝えたいし、なくてはならない教科だと思っています。発信しなければだと思っています。決議にも感銘を受けています。子どもを数字でしか見ない。子どもの背景、社会と。

縁をつなげていきましょう。まずは先生方でつながりましょう。

○来年この分科会がなかったらとも思います。変に先生だけで頑張ってもまずい。親も含めて頑張っていきましょう。そこから広げていかなければならないと思います。

○他の都会の先生方なら初任研の拠点方式も取り入れていると思いますが、危機感を持っています。美術教育がなくなったらこんなふうになるのではとも思います。文科省としては、美術教育を省こうとしている。エリート教育を目指しているのか、文科省にむけての怒りを共有すればいいのでは。今求められている子どもの姿は違うのか。美的センスを少し持っていればいいぐらいの軽い押さえなのか。人格や人間形成を後回しにしていいのか。そんな政策でいいのか。そこに対して地域にアクションするべきなのでは。

○本質論も出てきましたが、美術教育の前に取り組むものもあると思いますが、誰かがやってくれると思っていてはまずい。現実問題として、請願書を出してくださいというお願いもあります。一人が動いても組織が動くこともあります。やらしい感じで本質論ではないですが、明日審議会があります。年内に時数のことが出るのか分かりませんがそれぞれのところで動いて欲しいと思います。
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by nobuhiroshow | 2005-11-15 22:26 | 全道教研

稚内の報告(その21) 一生懸命だからいいのか、たのしければいいのか

○磨いていくと、ツルツルぴかぴかになる。最終的にたどり着くのは柄なんですよ。この子は将来着物のデザイナーになりたい。子どもの中で目的意識が変わっていく瞬間。レリーフ自体は一生懸命。けど、失敗。同じ一生懸命さにも問題があると思う。爪楊枝10万本で指すことに夢中になる子、さすことに夢中になるのはどうなのか。
一生懸命だからいいのか、たのしければいいのか。それについてはどう。

○スタートは全校制作物を新任での学校でやっていたからです。自分で変わったのは地元に戻ってきたい。地元に住みたいという子どもの気持ちを持って欲しい。自分のことはやりますし、全部でやるとどうなのか。家に帰ってあまりにも爪楊枝の話をする。どこやったか分からないけど、入学してから行ったことないけど、学校に見に来た。水族館でもお願いして飾ってもらったわけではない。たまたま館長さんを知っていて、飾ってもらえる状態。いろんなところで話題にして、人と人のつながりができればいいのではと思いました。こんなことを体験させるのは教材にはありません。45時間のうちの3分の1を使うのにはそれだけの意味があると思います。そこだけ濃くなってしまったものもあるし、時間もたてば思いも深まると思います。中学生ってこんなにパワーがあるんだよ。地元にアピールしていけるんだよ。校舎内にスペースがないので卒業式に飾ったりする。入学式でも飾って欲しい。自分たちの頑張った姿を見て欲しい。伝統として残して欲しい。これからどうアピールしていくのか大変だけど、どうにかして残して欲しい。ほんとは持ってきて触って欲しい。畳4枚なので無理ですけど。

○意図したところからずれても、美術って面白いかもしれないな。すごく感触って大事だと思います。それはそれでいいことでないか。
目で見るだけでなく、匂い、触感、いろんなもの全てが美術に関わると思います。最初に面白いんだというところから初めて行くことも必要。
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○認めてもらう共感があれば上手く進んでいくのかと思います。
○物作りの意欲は学年が進むと・・・、所詮自己満足なんです。他者に向いていたのが自分に向いてくる。段々自問になってくる。中学校で荒れている所にいて、茶碗作りにはげむ荒れた子、彼女の為に吸い付きはしっかり磨けよと言うと凄く頑張る。芸術は結局自己に帰ってくる。日本人は特にその傾向が強い。2,30年前の子なら身近に物作りがあったけれど、今の子どもは家で物作りをしない。そういう気質はあるのだと分かってください。
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by nobuhiroshow | 2005-11-15 22:20 | 全道教研

稚内の報告(その20) 中学校の表現と鑑賞について

目的だと思います。生徒にどんな力を育てたいのか。向こうを見据えた目的ならよし。メリットデメリットがあると思います。この作品に対して知りたいと思う子に対してどうするか。子ども達に浸透していれば良いと思う。やりっ放しでぼけたらだめ。
○その鑑賞を通して、育てたいものが明らかであれば、いい鑑賞の授業だと思います。
○旭川と網走の鑑賞はやり方が違っていいな。次につながっている点がいいと思います。黒板に発言を書くと認められる国語などでもやっているので、良いなと思いました。子ども達に題材をおろすときに、思い入れがあるかどうかで違うと思います。いいなと思いました。

○隠された子どもの思い。を感じさせるために、教師の押さえが浅いとうすっぺらいものになる。目的意識があれば子ども達はどんどん取り組む。表現でも鑑賞でも同じ。表現でも鑑賞でも思いが絡むことがい大切だと思います。
○最後の形にたどり着くためにどんなアプローチができるか。具体的には学校祭の集団画があると思います。学校のイメージを作品にするときに殺伐としたものになってしまうのでは。けど、学級ごとに題材を決めて、担任とも相談し、私とも相談して制作しました。ここのそれぞれの思いだとか共同作業として、いろんなものを出していきながら、たどり着けるようにできると思います。
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○土偶ちゃんでは没頭している生徒が多かったですね。ここの言葉は覚えていないんですけども、いきなり深いコミュニケーションはできないんだけどもお互いに感じたのでは。
今2年生の作品で1年生の時の作品です。やっぱり生徒はのぞくんです。傷つけることがなかった。返すときに願いがどうなったというかえしをして返したいなと考えていました。

○子ども達の授業の鑑賞と、本物の違いはどうなのか。そこは本物じゃないんだ。ということに対してどうしていますか。
できたら本物でやりたいけどもそうもいかない。実物大の風神雷神図屏風を作成した先生も、さらにお寺に行って鑑賞の授業をしようと考えましたが、お寺の本物の雰囲気の中で、作った屏風の偽物らしさが際だってしまうから行かない方がいいと助言を受けて学校で授業をしました。偽物だとわかって授業をしています。「本物はもっといいよ」と子ども達に言えればいいんじゃないでしょうか。

○画集でも思いは果てます。何年か後。本物を見たときにこれだったんだと。言うことでいいんじゃないでしょうか。本物は自分の作品しかないので。そいった感じで授業をしています。
○ 私も自分の作品を見せています。空き教室に多目的教室に絵を飾らしてもらっています。絨毯ばりのところで寝っ転がりながら。アートゲームをやっています。書の得意な先生もいて、どの絵をどの書がくっつくんだい。絵にも触らせる。シェルマチエールの部分なんかも興奮します。ほんとはだめだよと言いますが。100号は軽いんだよ。

○ B4300枚で複製を創りました。大きさを実感して欲しくて。それは生徒も実感していました。実感を伴うものをやっていけばいいのでは。
○ 旭川の対話について、今の子ども達は他人の考えを練り合わせて自分の考えを変えていく場面とは重要だと思います。美術でそれができたら他の場面につながっていくと思います。黙っていても自分が学ぶことができる。
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by nobuhiroshow | 2005-11-15 22:13 | 全道教研

稚内の報告(その19) 相互鑑賞について

○昼で帰るので。なぜ人は絵を描くのかな。自分の思いや願いがあって、それを表現している。鑑賞の場を設けることで、その思いを受け取る場、返す場だと思っています。鑑賞をやらないのは絵を描く価値がない。鑑賞まで含めてお互いの思いを伝え合うのがいいのでは。時間の問題ではないのでは。その時間をとることによってお互いを理解し、生きる喜びにつながると思っています。

○描いている中で満足しない部分があって行き詰まる場面がある。隣の子の作品を見て自分も高まる部分もある。小学校は一日いっぱいずっと一緒にいる。お互いのいろんな部分を知っているし、高めあっている。行き詰まったら、見てきますと宣言して参考にさせる。その子らしい所を見つける。こんな所がその子らしいとお互い言い合っている。図工でも何でも学級作りに関わってくる。友達の絵を見合う活動は高める認める場面は必要。

○やる気がないので、酒井式を。なので考えられない。中学校なら難しい。展示だけでも良いと思う。貼ることもできない場合もあると思う。学校事情で。どこに絵をはるのという学校もある。それなら授業時間しかない。それなら授業中に立ち歩いて。作者の気持ちは作者じゃないのでわからない。盗んでいいよ。見てるだけで分からないんだから。聞けばいいよ。1年生はなかなか分からない。3年生は交流できる。なんか声をかけてありがとうでもいいし、にっこり○(まる)でもいいし。見せてもらったらお礼をしよう。お互いに交流できる状況がこれで生まれてくると思います。

○小学校から中学校への発達段階で、純粋に鑑賞だけを行うのと総合的に見る適応鑑賞について若い頃話し合いましたが、いつも子どもに返ります。自分が低学年になったり、自分で先生の顔を描いたこと。その先生が好きだった。その大好きな先生の顔を描いてごらんといわれてうれしくて描いたことを覚えています。貼ってもらってそれで満足。見合うことに意識がなかったなと自分では思っています。2年生後半から人の絵を見る記憶があります。お互いの絵を見ることはやります。でやっぱり、けなしも入ったりしますが、いいところはいいと認めますし、この子はこんなことを描くなんて信じられないという部分もあります。相互鑑賞にはあまり時間かけてないです。作品を貼ることをあまり好まない学年ですので、名前を付けないで貼っています。それならいいというので、画鋲はずして名前を見ています。誰が描いたか見ています。プライバシーのこともあるし、やっています。生徒同士は貼っておけば勝手にやっています。純粋に見るのに作者のことを言っていいのか、意図的に平和教育が根底にあるので、リンクさせたいと思っているのでやっています。そのとっかかりとしてやっています。

○貼るのをいやがる生徒はいます。特別なことはやらないで、5分前には後ろの作業台に作品を置いておきます。そうするとお互いに見ています。授業中も自由に見ていい状態をつくっています。ほんとに見たい子は放課後に見に来ています。自然と他の生徒の作品を見たいと思わせば良いと思います。

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自分の作品を自己主張したい。大人には分からない線があってそのことを分かってもらいたい。自分の自己主張です。他の人に文句を言われたらもう描きたくなくなります。自分で説明をさせて、それで育つ。否定する場面は創らないようにその場を考えています。良さを認めてもらっていく活動をしたいと思っています。線1本が重要な意味をもつのが子どもの絵。題名をつけるときにも子どもの中にもただの「運動会」具体的に出てきたときにその子の思いが伝わってくる。

○見る視点を説明してほめていくことでお互いに高めあえる。お互いの作品をみていく場面も大切。学級作りの要素もある。立っていけない場面もあるので配慮も必要。
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by nobuhiroshow | 2005-11-15 21:15 | 全道教研

稚内の報告(その18) 小学校の鑑賞と酒井式の鑑賞

大きく鑑賞教育に関すると両極端。知識を芸術作品の価値を子ども達に伝える。もう一つは価値は何かと言うよりも対話を重視して主体的な鑑賞を取り組んでいく。そこでは価値を教えない。かつてニューヨークで芸術を教えないということがありました。学校が灰色になった時代です。その反動で教科書に詳しく知識を載せることもありました。一般的にはこの作品はなーと価値の押し売りのような鑑賞が日本でも行われてきました。小学校でも鑑賞があります。アートゲームの例もあります。

○今までの教研で鑑賞にいては、ある作者の鑑賞になっていますが、鑑賞するものはそれだけではないだろう。自分の郷土の山だとかも題材としていいのではないか。自分の足下の花を美しいと感じる気持ちなど。日常に関わる力を育てる必要があるのではないか。停留所の看板でも。一番いいのは実物を感じさせること。ここの学校にはとっても素敵な作品があります。それについて実物で、作者いないから触っていいよ。というのもあります。そんな工夫でできるのではないか。ゲルニカでは実物見てしまったら小さいものはだめですね。もっと身近にある作品を見せる。自分の作品を見せてもいい。何よりも友達の作品がいい。それを語り合うことに興味があるのでは。鑑賞は非常に充実していることもありますが、段々偏っていくような気がします。

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○小学校1年生で美術の時間の中に鑑賞の時間を確保できていた。今やろうと思ってもなかなかできない。その圧力になっているのが、週案を教務主任に提出しなければならない。せっかく描いたものを貼るだけでは惜しいので、国語の時間などにもやっています。認めてもらう部分で鑑賞は有意義だと思います。評価の問題もあります。教師の中でも抵抗感のある世代と、ない世代と。そこにも問題があるのではないか。鑑賞でも通知票の問題もあります。授業中の表情が仏頂面でも家でもしっかりやっていますよ。それを教師が図ることの傲慢さ。学力の数値化に問題もあると思います。

○昨日のビデオの感想です。鑑賞なのか酒井式なのか疑問です。他の先生でもやっていることなのか。クレヨンを半分に折ってについても酒井式を意識しすぎだと思います。そこまでやらなくてもいいのでは。小学校と中学校の違いについてもあると思います。そこまで危機感を持っていません。7教科の一つだと思っています。なかったらラッキーという人もいると思います。酒井式なら圧倒的に低学年が多いと思います。ただ、高学年は破綻してくると思います。ロボット人間になってしまうのは嫌なので。

○酒井式はいろいろな方法の寄せ集めでできています。脳の右側で描くという研究もあります。ゆっくり引く線が誠実な線。方法論もつまみ食い。小学校の低学年でやることこそ問題。鑑賞についても絵を描いて鑑賞するとき、そこを慎重にやるべき。感想に技法的なことだけしかでてこない。

○作品の紹介をします。作文を読みながら。一生懸命走っているとことを描きましたといったら、ほんとだ、そう見えるというように共感してもらえました。展示してある。コメントなんかを読んであげたらという対話もやって育てています。

○ 鑑賞でいったら、見て鑑賞して、感想を描いて、それを鑑賞するなどやっています。自然物については美術部で、木を描くときに枝振りを理解していない。桜の木を見に行ったのに途中の看板や花に気づく。そのとき自然についての気づきがある。それが鑑賞かもしれない。

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by nobuhiroshow | 2005-11-15 21:05 | 全道教研

稚内の報告(その17) 鑑賞はたのし〜生徒とともにあじわう対話型鑑賞〜

5分間の発表時間なので、発表原稿を用意しました。テレビの画面を使ってパワーポイントでのプレゼンテーション。緊張しまくりながら若干オーバー気味でしたが、シンプルにまとめたつもりです。自分でしゃべったので記憶が曖昧なので発表原稿を以下に載せます。

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旭川ではアメリア・アレナスの対話型の鑑賞をモデルに対話を生かした鑑賞に取り組んでいます。

では、模擬授業を行います。この作品を見てください。題名を当てたり、作者を当てたりすることが目標ではありません。カメラで写真を撮ればレンズに映り込んだものは全て写真に写ってしまいますが、絵の場合は違います。作者が描こうと思ったものだけが絵の中に描かれます。自分の目でじっくり隅々まで作品を見てください。今日はこの作品です。(アンドリュー=ワイエス「クリスティーナの世界」)
スライドショー開始、全体です。拡大です。実際はプロジェクターで見せます。細かいところが見づらいですし、色が若干薄くなっていますのでプリントされたこの画像を見てください。(A4の用紙にプリントした画像を見せる)
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では、この絵は何が起きたのでしょうか。何が表されているでしょうか。と問いかけます。ある生徒は、遠くから逃げてきてこの場で倒れた瞬間。ある生徒はこの家から追い出されて、帰りたくても帰れない苦しい状況。ある生徒は、この場で昼寝していてはっと起きた瞬間。なぜなら髪がなびいている。車いすからおろされて足が不自由なので手でずって歩いている。つまるところ何か。くるしい。つらい。ほのぼの。レポートの写真を見てください。あの線から向こうには行けない状態。など。生徒の発言を黒板にまとめていく。関連づけて。発言の痕跡を残して、作品との対話、他者との対話、作品との対話が関連しあって深まりのある鑑賞を目指しています。
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この2学期には彫刻での鑑賞に取り組みました。旭川彫刻美術館から本物を貸して頂いて、触らせながらの鑑賞です。やってみると本物の力は凄いなと実感しました。彫刻なので難しいかなと思っていました、場所も狭く時間も限られているので板書も使わずギャラリートークだけで行いましたが、まとめてもらった感想は自分なりに深くまとめてあります。

ねらいは将来この生徒達が美術館に行ったときに作品を見てすぐ、作品のラベルを見て作者とタイトルを見て終わるのではなく、自分なりに作品の意味や価値を自分で作り出して、最後にラベルを確認するようになって欲しい。時代背景、タイトル、定説などに縛られずに作品を自由に見ることができるようになってほしい。と願っています。

最後に研究の方法として、公開授業の方法です。研究授業のように指導案をしっかりつくって研究協議を行うのではなく、簡単な指導のポイントと何日間かの公開日の都合のつく日程に参観してもらう。多忙化の中こんな方法を今旭川では取り組んでいます。インターネットも活用し、旭川市の図工美術部では掲示板もありますので、そこに指導のポイントを前もってアップしておいたり、自分でもブログで公開しています。広める方法としても有効だと思います。

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汗をかきながらのプレゼンでした。何年ぶりかのここまでの緊張とけどやるだけやったなという充実感を味わいました。ハァー。
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by nobuhiroshow | 2005-11-15 20:44 | 全道教研