カテゴリ:全国教研( 74 )

やっとアップ全国教研レポート

 たまに見ていた日本教職員組合ホームページ『e-ステーション』。その中の会員専用HP『J-Pocket』に昨年度2月に三重県で行われた第55次教育研究全国集会のレポートがアップされました。
 第6分科会の美術教育については全レポート27本がPDFファイルで閲覧やダウンロードが可能です。
 パスワード取得についての詳細は組合の各支部にお問い合わせ下さい。
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by nobuhiroshow | 2006-07-30 00:25 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その73 『自主教研をすすめるために』の原稿3

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三重(中)の実践では、「荒れ」の噂のある自信の母校であり初任地へ赴任しての生徒の関わりが心に残った。部落の問題が残っている地域である。
最初の授業で「やりたくないわ。めんどくさい。ずっと美術1だし。」という生徒の声が上がる中、うまく上手にとか、無意味な制限なくす事から初めた。「子どもの作品は見てくれでない。魂が入っていっていること。美術は自分にしかできないこと。人有っての自分なんだ。」とその子その子を見つめて、子どもと対話して取り組むことによって、子ども達が変わってきた。
「先生分からん」と言って表に出て行く。「ちょっと待て、おまえさあ、どうなんだ。」あるいは「自分はこうなんだ」と関わっていくことで、生徒が自分のドラマを話してくれる。そして授業中の立ち歩きの質も変わってきた。美術がオール1だった子も、自分がやっていた野球の先輩で甲子園に行った人の作品を見たことで、キンキラキンでふらふらしていたのにずーっと作品を見つめていた。それをきっかけに最初は輪郭線させかけなかったのに作品に取り組み、「先生先生どうやって描くのか」と聞くのかと思ったら、「どうやこれ」と自信を持って話しかけてくる。「でてるやないかおまえ」と返す先生。見てくれでない魂がこもっているかどうか。
また、手が未発達な子どもがある絵で自分の姿をはじめてそのまま描いた。1年前に描かれた時にはさらっと受け流してしまったが、今回あらためて見直した時にその事実に気づき、自分の障碍を乗り越えた子どもの気持ちをしっかりと受け止められずにいたことをこの場で悔やみ、早く帰ってその手を握ってあげたいという先生の気持ちに心を動かされた。
全国教研に参加したものの、今まで自分が取り組んできた実践がどうだったのか。美術を表層的になぞった上っ面でしかなかったのではないか。子どもの思いや魂といった深い部分にまで美術教師として向き合っていたのか。そう考えると討議においてもなかなか発言できない。自分自身への課題が新たに生まれていく。同和や差別の問題が目前にあるわけではないので、実感が湧かないが、美術教育において魂を揺さぶる関わりもできるし、そんな関わり方をしていく事も必要になってくるだろう。美術教育の可能性は自分が考えていたよりももっと広く深いものであることが、今回の全国教研であらためて再認識させられた。
飛行機の関係で最後の総括討論の最後の1時間には参加できず、今後の課題などを確認できなかったのは残念であるが、退席する最後までリポーター並びに傍聴の方々で活発な話し合いがなされていた。
27本の発表中、鑑賞をテーマにしたものは北海道だけであり、表現が中心の話し合いであったが、一石を投じることはできたのではないかと思う。
原点に立ち返り、美術教育を多面的に検証し、確認していくという今次教研のねらいは自分の中ではまさにその通りであり、達成されたと思う。涙ながらに熱く語る先生方、苦しみやつらい思いを打ち明ける勇気。これからがんばる沢山の元気をもらった全国教研でした。
最後に、このような機会のきっかけを作ってくださった第55次全道教研美術分科会参加のみなさん、関係者のみなさんありがとうございました。今後は精一杯、今いる目の前の子ども達にこの事を返し、北海道で活躍している図工・美術の先生方にも還流していくことで、このご恩を返していきたいと思います。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 09:16 | 全国教研 | Trackback(1) | Comments(3)

全国教研還流報告 その72 『自主教研をすすめるために』の原稿2

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次に福岡(小)の「命の輝き」の実践。登山や星の観望会、ソーラン節や老人ホームへの訪問、作物を育てて味わって食べる、平和学習に取り組んだり、プールで宮沢賢治の「やまなし」の世界を体験し、ニジマス学習「命の輝き」へつないでいく。ニジマスを自分の手でつかんで捕まえる。はさみで切って解剖して、生きて動いている心臓の様子とそれが止まる様子を目の当たりにして「命」そのものに向き合う。最後は七輪で焼いて自分で食べる。命をいただくという「いただきます」に気づいた子もいる。だれ一人として、残すことなく、頭までしっかり食べあげていく。
5年生から学校生活の中で数多くの経験積み重ね、6年生で「命の輝き」という1年間のテーマで取り組んで集約する。絵に表したくなるような感動を伴う体験をすることにより、そこに発生する心の色をそのまま表現すればよい。大切なのは、学校現場で、感動を共にすることだと言う。そこで積み重ねられた体験がいかに子ども達の深く心を揺り動かしたか。本物の体験が求められていると思う。心を動かされたことを表したいというのは人間の本能である。自分の思いをわかってもらいたいと自然に絵や文や、言葉の表現が生まれてくる。上手下手を超えた思いの詰まった絵がここにも生まれていた。

学級崩壊になったクラスを6年から担任している先生の話もあった。「5年生の最後には担任の先生の車の後ろに画鋲をばらまく状態。担任をおろされた先生もつらいし、親もつらい。けど一番つらいのは子ども達かなと思います。図工室に棒がいっぱいあって、それを使って磨く題材に取り組んでみました。学校の周りに落ちていた桜とかケヤキでなかなか磨けない。小刀など刃物も危ないので、管理職にも大丈夫かと言われましたが、2年生の頃からみていましたので、本当にそんな子ではないと信じていたので、自由に使わせました。本当は削って磨いたものを使って造形的に組み立てることが必要かなと思いましたが、磨くだけでした。教室が異様な雰囲気でシャカシャカして磨いて結局棒を磨いて終わってしまいました。それでも良かったのかなと思いました。失われた1年間のために必要だったのかなと思いました。ツルツルという感触が必要だったのかなと思っていました。今まで、一生懸命がんばるだけ怒られていたのに、一生懸命がんばったら、ツルツルになり、自分たちもまんざらではないのかなと思ったのかなと思いました。」
作品制作ではないけれど、造形遊びの素材体験のように一心不乱に木を磨いて、磨きながらも木と対話して自分の心と対話する子どもの姿が目に浮かびます。そのときの子どもの実態に合っていたからこそ、それだけ真剣に木を磨き続けたんだと思いますし、心も開放されていったのではないかと思います。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 09:13 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その71 『自主教研をすすめるために』の原稿1

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5月に配付される北教組の『自主教研をすすめるために』への掲載原稿をこの場で発表します。

討議の柱は
1 今、美術教育をどう展開しているか
2 「生命(いのち)と出会う」美術教育
総括討論
として行われた。

1日目いっぱいを使って、3部に分けてレポートの発表と質疑。2日目は十分討議を深めようという意図である。しかし、事前に配付されたレポート集に目を通してきたのは全リポーター中2名。「12月の会議で言われました。全国教研は発表会の時間ではない。自分の実践を、困っていることもありのままも投げ出して今後の課題を見つけていく、つまり還流する場だと思っている。しかし、その還流の場になっていない。」と司会の方から話もあり身を引き締める。与えられた8分の時間を使っての発表。作品は実物を持ってくることとされていたが、全国各地から参加するので数が少なかったり、作品の画像のプリントだったりとさまざまだったが、それを食い入るように見ながら説明を聞く。また、会場がせまいためレポート発表にあわせて作品も次々と張り替えられてゆっくり見る時間も少ない。
昨年の札幌での全国教研に傍聴で参加させていただき、そこでも驚かされたが、北海道にいては気づかない全国の状況に今回も認識を新たにする。同和教育や人権意識、差別の問題や平和の問題。県下一斉テストの結果を公表したり、教員の評価制度を実施していたりと教員を取り囲む環境も厳しくなってきている。
27本あるレポートの中で、心に残ったものとして宮崎(小)の手を描く実践があった。3年生の終わりに「手の授業」として家族の手を描いて、その手にまつわるコメントを書く。家族への暖かい思いがあふれて、その作品を大切に飾っているお母さんの話や、同僚の先生から「家族が見たら涙を流すと思う。私もやってみよう。」と声をかけられ、実際に取り組んだとのこと。「子どもたちが手を通して自分や自分の家族、生活などを見つめ直すきっかけになる。そして、友達(人)の思いを知り、「いのち」についても考える事にもなる」という授業者の意図。決してうまい、上手な作品ではないが、思いがあふれて胸が熱くなる作品。これこそいい作品なのではないだろうか。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 09:05 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その70 全国教研参加者へのお願い

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長々と全国教研の還流報告をさせていただきました。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。残念ながら飛行機の関係で16時30分の終了まで参加することができずに、報告も尻切れトンボで終わってしまいました。最後の1時間分の総括討論や第56次教研に向けての部分がどうなっているかわかりません。
そこで、第55次全国教研美術分科会に参加されていた方で、最後の1時間分の記録をもっている方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。よろしければ、寄稿としてこのブログに掲載させていただければと思っています。
また、記事の中に事実誤認や配慮に欠ける点がありましたら、すぐに対応しますのでご連絡をお待ちしております。
これを機に、今後とも縁をつなげていければと思いますのでよろしくお願いいたします。

この旭川もようやく春らしくなり、土筆も伸びてきました。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 08:56 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その69 タイムリミット

e0040515_8403493.jpg庄子(北海道):もう出ないと飛行機に乗り遅れてしまうので言わせてください。ここに来て、地元を代表してきたはずなのに、なかなか発言することができませんでした。討論の内容が重くて深い。今まで自分がやってきた美術教育ってなんだったんだろうかと考えていました。そこまでの心の深い部分に向きあってきていたのだろうかと考えさせられました。北海道の地域性として、差別や人権、平和などについて普段意識しないで過ごしていることもあります。明日、中学3年生に義務教育最後の美術の授業をします。その中でこの場で学んだことを少しでも子ども達に返せたら、北海道にいる先生方に返せたらと思っています。本当にいい機会を与えて頂きました。みなさんありがとうございました。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 08:41 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その68 職場の人間関係

e0040515_8354411.jpg司会2:この場が自主編成の場だと確認できたと思います。命とか感動とか重たいという思い。子どもや親に法律があって守られていることも伝えていきたい。初日からこんなにたくさんの意見が出たのは特にみんなの学ぼうという気持ちが強いなと思っていました。危機に関して、どう展開していこうとしているのか。
○:午後からしか参加できなくて、自分が今持っている子どもの姿が浮かんでこなくてそれが悔しい。4月から現場に戻るのでがんばっていきたい。共感するってことがありますが、自分の中に返しきる自信がなくって、帰っては現場で逃げていた自分がいます。美術だけでなく支部長もして司会3さんはきちっとしていて同じ職場の人間関係も造っている。美術だけの関係でそれを造るんでなくて、感じた中で子どもとつながっていかなければならないと思いました。
司会3:臨時の先生が半年黙っていた、新採2年目の英語の教師。「私をいすに立たせて、『宿題を忘れてきたらこんな風にするよ』と生徒の前で見せました。私が臨時だからそんなことをしたのかな。」 同和教育も行ってきたのに、その差別を半年黙っていたこともショックだったし、そのことを言ってくれなかったのには自分にも問題があったのかな。たった2年で差別するようになってしまった。以前の共同研究者の話は人間らしく生きていくための、時代を変えていけるような立会人になれるかという仕事をしているか。人が人で扱われないようなことになっている。悲しみと憤り。妊娠を理由に雇用を断れた。泣き寝入り。彼女が戦ったことで、実は私たちも人間らしい扱いをしていなかった。そんな職場で、子どもとどう向き合えるか。そこが基本的に問われているのでは。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 08:36 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その67 今ある授業をどう見直していくか

e0040515_8263122.jpg司会2:自分を見つめるということが抜けたら人の心も、見つめる厚さが変わってくると思います。今回学ぼうと集まっていることは55回目で、運動としてやっています。歴史の中で培ってきたもののがあると思います。そこを学んでいかなければならないと思う。この会場に以前の共同研究者がいます。
以前の共同研究者:歴史を言えというので、自主編成とは何かというと数時間かかるので、歴史を言うことになりました。58年に教育闘争よりも政治闘争を日教組が歩んできた。勤評闘争がいい例。現場の教員は自主編成ができる力量を持った先生方になっていた。そんな時代でした。72年になって、指導要領の法的拘束力の問題になってくる。日教組は中教審にどう対決するか。そこで自主編成運動に着手するようになった。74年に教育改革案を出した。75年に第1回の自主編成講座を出した。この時、市販テストの不採用運動。工作はセット教材を使わない。95年に日教組は文部省と和解。主任制と職員会議、初任者研修の問題、日の丸君が代の問題、学習指導要領の問題。このときから自主編成という言葉は使わないようになった。君が代、日の丸の問題についても最近は日教組にもあまり見られない。それを受けて全国から批判が起こった。教育課程は文部省用語。カリキュラムとよぶ。国際的に通用する言葉として。それを自主編成しようという現場からの動き。教育課程の編成は学校にあると指導要領にあります。現場ではそれは、指導要領に出ていますかと管理職に言われる。美術は基礎基本が何かを明確にしないでここまできた。はさみを使うのは基礎なのか基本なのか。はさみで丸く切れるというのが基本なのかというばかげた議論になる。昨日から論議してきた、熱い中身が基礎基本なんだ。基礎基本が学力という言葉に置き換えられた。その基礎基本が評定評価の対象になってきた。国語算数の基礎基本と美術では別に考えなければならない。今ある授業をどう見直していくか、そこが自主編成の出発であって終わりなんです。実践の確かめなんです。自分の実践の確かめの場でもある。教科書研究も含まれる。昔はそんな本もあった。品のない。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 08:26 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その66 子どもからの言葉

e0040515_8184021.jpg司会1:もう少し意見頂いて
○:先輩方が作ってくれた道を消しているんじゃないかな。月に1回持ち回りで作品を持ち寄り議論します。絵を持ってきても批判されたりしますが、上手な絵を持っていったときは批判されます。文部省の価値観とは違うんです。小中学校を退職した人が、公民館で絵を描かせている。玄関に子どもの絵を飾ろうという運動を始めている。技法を教えるんじゃないんでけど、絵が明るくなってくる。大人も幸せな気持ちになってくる。子ども達の先生方の思いを聞いていると幸せな気持ちになる。先に見えるもの、絵を通して大人も子どもも幸せになるということを知って欲しい。
○:いろんなことを考えられて勉強になったと思います。家庭訪問したときに、図工だけはやってくれた。去年そのことをやって自分の後に道ができる人というのに共感を持ったんですが、校長に「図工もいいけど、学力もね」って言われました。学力テストの通過率というのがあって、校長に言われたと思いますが、校長に何を言っているんだと思ったのに、その子ががんばってきたことやクラスのみんなのがんばりを校長に言えなかったのが残念です。
○:命とか感動に共感するんですが、凄く重いなと感じています。自分なりに考えて命や感動だったり、大きなことではなくって、将来子ども達から帰ってくるのかが自分の励みです。岩手の恩師が病床で、レポートを見せてくれと言われたのかが最後の言葉になりました。大先輩から拙い私にがんばってこいよと送り出してくれましたが、福島のレポートで共感したことで、美術の学力はなにかと言うことに対して、あなたの学力とは何かと問い返せと言われたことに共感しました。「先生がんばってこれたよ」と小規模校から大規模校に育っていった子からの言葉が私への評価なのかなと思います。

休憩
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 08:21 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)

全国教研還流報告 その65 子どもに気づかせようとしているが、逆なんだ

e0040515_5155172.jpg司会3:子どもと本物として向きあっていきたいと思うと、札幌の方の話にあったように、美術を他の教科と一緒にさせられようとしている。福島の先生のようなごまかしの話にもつながってきている。最近勉強したんですが、小泉構造破壊改革のモデルとなっている、イギリス。主権者であるはずなのに生産者になっている。地域、親、学校が分断されている。くさびを打てる教科として彼女の話を涙の話にするんじゃなくて力の話にしてほしい。
司会2:子どもに気づかせようとしているが、逆なんだ。知ったかぶりした大人が教えたつもりだけど、教えられていることが多い。河合かんじろうさん(焼き物)の話。道を歩かない人。歩いた後が道になる人。歩こうとしない人が沢山いる。これでいいだろうかと、自由を奪われ抵抗しているが、そんな中で自分たちの道でいいんだろうか。と求めている。この場が私たちを育ててくれるし、子ども達も待ってくれている。いつも見つめられている中で、厳しい中だからこそ、・・・・  どんなに小さな轍でもいいから石を入れてみる。どっちを選ぶか。
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by nobuhiroshow | 2006-05-01 08:12 | 全国教研 | Trackback | Comments(0)