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千歳の報告(その24) 形で判断してはいけない

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休憩後

空知北:かなり討議されました。泣いてしまって、特別な人ということで校長先生を描いたらという話もありました。自分の家の人を描きたかったんだろうな。『大好きはおうちの人の笑顔』という題材だったから。限定なので、余計悲しかったんだろうし、おうちの人を大好きじゃない子もいるんじゃないのか。その限定も違っていたのかもしれない。先生の配慮や授業の組み立てもどうかも話したけれど、担任としてどうすべきかという部分も話しました。その後は特になく何となく過ぎていったと聞いている。「その最終的な絵も見て話したかったね。」という話がありました。全国教研の福岡の話もありましたが、自分の障碍を乗り越えて部分を聞きましたが、どうその部分を乗り越えさせられるか考えなければならない。

共同研究者A:僕は逆に与えて良かったんじゃないかと言いました。指の話にも似てますが、個人の考えです。私達は子ども達に対して大人の考えた子ども観を持っている。親が別れたから不幸だとか。しかし、お父さんと別れて良かったという子もいる。形で判断してはいけない。僕たちの教育というのはこれからの人生にどう渡らせられるか。参観日にやるのは大間違いだと思っていますが、親におもねいた心理があったと思う。片親だからお母さんの顔を描かないというのは間違いだと思う。どうしようもない運命を逃れさせない。指がないのは不自由だろう。でもあるのとないのとどう違うのよ。5本あればいいというといいうのではない。普通テーマについて考えさせる。敢えて手を描かせたのは戻らないものである。それを享受して欠点を欠点として認める。回避してはいけない。フォローも必要。教師との人間関係。親とのも含めて。教師自身がその子の障碍、この言葉も好きではないんですが。3、4歳で、成長の止まった子がいます。背が小さい、コンプレックスになっている子もいる。残酷に子ども達が聞く。「何で背が小さいの」と非常につらい顔をする。そこで、オレはそんなの顔をするのは間違いだと思うよ。その子の体型でないとできない妖怪などの役をやらせる。それはその子の価値でしょ。今はその子は明るい顔で答える。介護の免許ももって、明るく生きている。あのことがいいことだとは思わないけど。

by nobuhiroshow | 2007-10-09 06:29 | 全道教研


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